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日蓮大聖人・池田大作

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第十五章 転重軽受 全人類救う宿命転換の仏法

講義「開目抄」「一生成仏抄」(池田大作全集第34巻)

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11  護法の功徳力
 苦悩を「ばっ」と消す宿命転換を実現する力について、日蓮大聖人は、般泥洹経の「護法の功徳力」という表現に注目されています。
 「護法」とは、文字通り「法」を護ることすなわち、仏法を実践することです。「謗法」が悪から悪への流転の根本の因であるがゆえに、「護法」の実践によって、その流転をとどめることができるのです。
 護法の目的は、人間の幸福です。その意味で、人間の中にある成仏の法を守っていくことによって護法の功徳力が現れてくるのです。
 すなわち、法華経の行者として戦いぬくなかで、法に背く悪の生命がたたき出され、無明を破ることができるのです。その具体的実践が「悪と戦う」こと、すなわち折伏の実践にほかなりません。人々の無明を助長し、法性を覆い隠そうとする悪縁、悪知識と戦うことは、自身に内在する無明を打ち破る戦いでもあります。
 大聖人は「開目抄」で御自身の闘争を力強く仰せです。
 「今ま日蓮・強盛に国土の謗法を責むれば此の大難の来るは過去の重罪の今生の護法に招き出だせるなるべし
 ここに日蓮仏法の宿命転換の大道があります。強盛に国中の謗法を責めたがゆえに、大難が競い起こった。それは過去の重罪が現れたことにほかならないのだから、今それを消し果てることで苦悩の生死流転を脱却することができる、という結論です。
 あえて謗法を「責めいだす」という強い戦いこそが、宿命転換の直道です。そのためには「勇気」が必要です。反対に、臆病に囚われた弱い戦いでは、生死の苦悩を転換することはできません。
 そのことを裏付けるために大聖人は、天台の『摩訶止観』から二つの文を引かれています。(御書232㌻)
 すなわち最初の文では、「散善微弱」、あまりにも善の行いが弱すぎれば、とうてい、生死流転の苦悩の輪を動かすことはできないと述べられています。
 次の文では、反対に、正法を正しく行ずるからこそ「三障四魔」が紛然として競い起こるとあります。
12  苦難とは「生命の鍛錬」
 以上のことから、謗法を責めることによって起こった大難は、「苦難」というよりも「生命の鍛錬」の意味を持つのです。大聖人は本抄で、「鉄を熱にたう・きたわざればきず隠れてみえず、度度せむれば・きずあらはる、麻子を・しぼるに・つよくせめざれば油少きがごとし」と仰せです。
 また、他の御書においても、「宿業はかりがたしくろがねは炎打てば剣となる賢聖は罵詈して試みるなるべし」――宿業ははかりしれない。鉄は鍛え打てば剣となる。賢人・聖人は罵られて試されるものである――、「各各・随分に法華経を信ぜられつる・ゆへに過去の重罪をせめいだし給いて候、たとへばくろがねをよくよくきたへばきずのあらわるるがごとし」――あなたがたは、法華経を懸命に信じてきたので、過去世の重罪を責め出しているのである。たとえば、鉄を十分に鍛え打てば内部の庇が表面に現れてくるようなものである――と仰せです。
13  護法の実践で鍛え上げられた生命は、謗法の悪業という不純物をたたき出し、三世永遠に不滅となります。無始以来の生死の繰り返しのなか、この一生で日蓮大聖人の仏法に巡り合い、謗法を責め、自身の生命を鍛えあげることで宿命転換が実現し、永遠に崩れない仏界の境涯を胸中に確立することができる。それが「一生成仏」です。
 この日蓮仏法の透徹した実践は、私たちの人生における苦難の意味を一変させます。
 もはや、苦難は避けて通るべきマイナス要因ではなく、それに打ち勝つことで自分自身の成仏へと向かっていく積極的な要素となるのです。もちろん、苦難の渦中にいる人にとってみれば、苦難と戦うことは楽なことではありません。つらいこと、苦しいことを待ち望んでいる人などはいません。なければないほうがいいと考えるのが人情です。
 しかし、たとえ現実に苦難に直面したとしても、大転換の秘法を知って、「悪と戦ったからこそ、今、自分は苦難にあっている」と理解し、「この苦難を乗り越えた先には、大いなる成仏の境涯が開かれている」と確信していく人は、根本的に強い人生を生きぬくことができる。
 この究極の仏法の真実を、生命の奥底で体得しているのが、わが創価学会の同志であると確信します。
 その証に、わが同志は、苦難に直面した時に「強い」。そして何より「明るい」。それは、宿命転換という生命の根源の善のリズムを、すでに体験的に知っているからです。また、自分は経験していなくても、会得した他の同志の姿に日常的に接しているからです。
 宿命と戦いながら広宣流布の信心に立つ人の姿には、すでに願兼於業という仏法の究極の真実が映し出されています。
 どんな苦難も恐れない。どんな困難も嘆かない。雄々しく立ち向かっていく。この師子王の心を取り出して、「宿命」を「使命」に変え、偉大なる人間革命の勝利の劇を演じているのが、わが久遠の同志の大境涯といえます。
 したがって、仏法者にとっての敗北とは、苦難が起こることではなく、その苦難と戦わないことです。戦わないで逃げたとき、苦難は本当に宿命になってしまう。
 生ある限り戦い続ける。生きて生きて生きぬいて、戦って戦って戦いぬいていく。この人生の真髄を教える大聖人の宿命転換の哲学は、従来の宗教の苦難に対するとらえ方を一変する、偉大なる宗教革命でもあるのです。
 ”大変な時ほど宿命転換ができる””苦しい時こそ人間革命ができる””いかなる苦難があろうと必ず最後は転換できる”――この大確信に生きぬいていくのが、日蓮仏法の信心であります。そして、日蓮大聖人に直結して、この宿命転換の道を現実に歩み、宗教革命の大道を世界に開いているのが、わが創価学会であります。この誇りと喜びをもって、さらに前進していきましょう。

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