Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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臆病にては叶うべからず  

講義「御書の世界」(下)(池田大作全集第33巻)

前後
5  法華経の兵法――勇気と智慧と信心
 池田 「仏法は勝負」と強調されているゆえんは、いかなる困難にも強靭に立ち向かっていく強い心を持て、ということです。臆病な心では、胸中の魔にも、社会の魔にも勝てないからです。「臆病にては叶うべからず」です。
 ”わが門下よ、断じて世間の荒波に負けるな””卑劣な魔軍に負けるな”という、大聖人の万感こもる励ましです。「法華経に勝る兵法なし」の原理もそうです。
 斎藤 はい。「四条金吾殿御返事(法華経兵法事)」で「なにの兵法よりも法華経の兵法をもちひ給うべし」と仰せです。
 そして、その原理を示されるうえで大聖人が強調されているのは「心」です。「ただ心こそ大切なれ」「あへて臆病にては叶うべからず」です。
 池田 「法華経の信心」とは、観念論でも抽象論でもない。現実の社会で勝利するための具体的な智慧を発揮しゆくものでなくてはなりません。
 大聖人は、「前前の用心といひ又けなげといひ又法華経の信心つよき故に難なく存命せさせ給い目出たし目出たし」と仰せです。
 森中 四条金吾が「強敵」と戦って、ことなきをえたという報告に対する、大聖人の御指導ですね。
 池田 そうです。「前前の用心」と仰せのように、大聖人は、四条金吾に何度も何度も、身の安全をはかるように指導されていた。師匠から繰り返し言われることで、四条金吾もはじめて事の重大性に気がついたのかもしれない。用心する習性がついたからこそ、敵人に狙われても大丈夫だったのだと大聖人は仰せられている。
 斎藤 師匠とは、本当にありがたい存在ですね。
 池田 そして、「けなげ」とは、いざ事に当たっての「勇気」です。勇気がなければ最高の智慧も無に帰してしまう。
 そして、すべての根本が「強き信心」です。信心によってのみ、妙法の無限の力用が、智慧となり、勇気となり、生命力となり、諸天の加護となって開かれてくるからです。
 「智慧」と「勇気」と「信心」――これが勝利への要諦であることを大聖人は教えられています。
 大聖人御自身が、師子王の心で、勝利また勝利の大闘争を続けてこられた。決定した一念にこそ諸天善神も動くのです。
 「諸天善神等は日蓮に力を合せ給う故に竜口までもかちぬ、其の外の大難をも脱れたり」と仰せです。
 森中 最大の法難である竜の口の法難で処刑場に連行される時に、八幡大菩薩を叱咤されるなど、自ら諸天善神を動かされ、勝利を開いていかれました。
 池田 大聖人は引き続き「今は魔王もこりてや候うらん」「第六天の魔王の眷属けんぞく日本国に四十九億九万四千八百二十八人なりしが・今は日蓮に降参したる事多分なり」とも仰せです。偉大なる勝利宣言です。
 身延の山中で「既に日蓮かちぬべき心地す」と大勝利宣言をされている御書もある。
 大聖人は、何度も仏と魔との「合戦」であると仰せられているが、この合戦に大勝利したと明確に宣言されているのです。
 斎藤 四条金吾をはじめ熱原の法難に至る「弟子の法難」は、今度は門下が「仏法は勝負」の原理のままに勝利してきた姿だということですね。
 そして、勝利した弟子たちは皆、「日蓮が如く」戦った。反対に、大聖人に背いた門下は、惨めな敗残の姿を呈してしまいました。
6  人類のための闘争
 森中 「結句は勝負を決せざらん外は此の災難止み難かるべし」という一節もあります。当時、猛威を振るっていた疫病をはじめとする三災七難は、その根本原因である元品の無明を法華経の行者の実践で打ち破り、社会に妙法の力を現していく以外に解決しえないと言われています。
 斎藤 この御文は、社会の次元で「仏法は勝負」の戦いを担うのが法華経の行者であるということですね。
 池田 人生も、生活も、社会も、変化変化の連続です。そして、変化は、良く変わるか悪く変わるか、中途半端はない。だから、信仰も勝負、宗教も勝負、勝負を決する以外にないのです。
 イギリスの思想家カーライルが言うように、「人間はたたかうように創られている」(上田和夫訳)のです。
 名優チャップリンにも、映画の中で、人生の先輩として、生きる希望を見失った若き乙女を励ます場面がある(『ライムライト』)。
 「戦うんだ」「人生そのもののために!」「宇宙にみなぎる力は、地球を動かし、木を育てる。それは、君自身の中にある力と同じだ。その力を使う、勇気と意志を持つんだ!」
 この一人一人の胸中における善と悪の精神闘争は、これからの人類全体の課題です。人類の宿命を転換するために、今、私たちは、人類全体の無明を打ち破り、善の生命を万人に開発していく勝負を開始したのです。

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