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日蓮大聖人・池田大作

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不惜身命・死身弘法こそ師弟の真髄  

講義「御書の世界」(下)(池田大作全集第33巻)

前後
20  池田 師弟不二とは、究極的には、「法」を同じくすることであり、大聖人と「精神」「誓願」を同じくすることです。
 そして、大聖人が根源の師匠であることは大前提として、「化儀の広宣流布」にもまた、妙法弘通の師弟が不可欠です。
 創価学会は、日蓮大聖人の御遺命である広宣流布を実現するために地涌の菩薩が集った和合僧団です。
 斎藤 その地涌の菩薩の指導者が、三代の会長です。
 池田 牧口先生は、法華経の行者としての信心を貫き、獄中までの実践のなかで日蓮仏法を色読された。仏の使いとして、現代に日蓮大聖人の仏法を蘇らせた。まさに大聖人と師弟不二です。
 戸田先生は、獄中で、久遠以来日蓮大聖人の弟子であることを覚知された。
 お二人の実践は、日蓮大聖人の仏法の実践を寸分もたがわず現代に移されたものです。その意味で、日蓮仏法の体現者です。
 「命限り有り惜む可からず遂に願う可きは仏国也」とは、御本仏・日蓮大聖人の御遺命です。「未だ広宣流布せざる間は身命を捨て随力弘通を致す可き事」とは、日興上人の御遺誡です。
 この「不惜身命」「死身弘法」の大誓願に立ち、忍難弘通によって、仏法史上に未曾有の壮大なる地涌の陣列を築かれたのが牧口先生であり、戸田先生です。
 斎藤 そして、今、池田先生の死身弘法の実践によって世界中に地涌の陣列が築かれました。750年の間、否、三千年の仏教史に燦然と輝く不滅の世界広布の陣列です。
 また、大聖人滅後、創価学会の三代にわたる広布の指導者ほど難を受けた存在はありません。これは厳然たる歴史の証明です。この三代の広宣流布の指導者が、現代における仏法弘通の師匠となることはあまりにも自明のことではないでしょうか。
 池田 たとえ、周囲が見ていようと見ていまいと、また、だれがどう言おうと言うまいと、自分は「弟子の道」を貫く。それが「師弟」です。
 戸田先生ほど、牧口先生を師と仰いで「弟子の道」を貫いた方はいません。
 「我が人生の誉れは、牧口先生の4度(よたび)の難にお供したことである」と戸田先生は語っていました。
 西町小学校からの左遷。
 三笠小学校からの排斥。
 白金小学校からの左遷。
 どんな時も、若き戸田先生は、牧口先生に従い、支え守り抜きました。
 斎藤 この過程で、あの『創価教育学体系』が編まれ、創価教育学会が創立されたことは有名です。
 そして、四度目は、軍部権力の弾圧ですね。戸田先生は、牢獄までともに行動されます。
 池田 この時に、臆病の弟子たちが豹変し、牧口先生の名を呼び捨てにして罵り去っていった。それに対して、高齢の師匠の身を案じ、戸田先生は「罪は我が身一身に集まり、一日も早く師を出獄させ給え!」と祈りつづけられた。これが弟子の道です。
 斎藤 池田先生もまた、戸田先生に徹して仕えられ、「弟子の道」を教えてくださいました。そして、戸田先生との約束はすべて実現され、今も師弟の大道を歩まれています。
21  池田 私のことはともかく、仏法とは「師弟の大道」に生き抜く中にあるということです。
 ともあれ、日蓮大聖人の身延期の闘争は、門下に師弟の大道を教え、確立させていく一代の御化導の総仕上げの時期であったともいえるでしょう。
 妙法弘通のゆえの大難は、仏法者にとって最高の誉れです。その大難を、ともに乗り越えていく真の弟子の出現を待たれていた。
 そして真実の弟子が活躍した分だけ広宣流布は大きく前進する。その広宣流布の方程式を確立しようとされたと拝したい。
 「我並びに我が弟子・諸難ありとも疑う心なくば自然に仏界にいたるべし」です。
 どんな大難にも莞爾として、師とともに戦いゆく真実の弟子を育てていく。まさに、仏の最後の仏事は教育です。
 ”我が、この弟子を見よ”若き人材が陸続と出現し、きら星のごとく輝く姿を見る以上の師匠の喜びはありません。
 大聖人の御化導で言えば、いよいよ民衆次元で真の仏弟子が躍り出ることを待望されていた。その仏弟子の出現が熱原の民衆です。そして、人間主義の仏法の確立が、いよいよ熱原を舞台に繰り広げられていく。次は、権力に屈しなかった民衆の勝利を語っていこう。

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