Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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難来るを以て安楽と意得可きなり  

講義「御書の世界」(上)(池田大作全集第32巻)

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13  戦う中で真の安穏を築く
 斎藤 ここまで、大聖人の法難のうち、立宗時の清澄寺追放、松葉ケ谷法難、そして伊豆流罪について、現在において分かる事実を中心に、詳しく追ってきました。
 最初は俗衆増上慢、松葉ケ谷法難の時には道門増上慢が現れ、そして、伊豆流罪の時は僭聖増上慢のはしりとも言うべき動きがあったことが確認できたと思います。
 小松原法難、および竜の口の法難・佐渡流罪については、次号で論じていただくことにしますが、いよいよ「本格的な僭聖増上慢」が現れてきます。極楽寺良観です。また、生命に及ぶ「刀の難」に遭われます。
 池田 ますます迫害が激しくなっていった。しかし、大聖人は、あらゆる大難敵、大難関を堂々と超えていかれるのです。
 このように大聖人の受けた大難を詳しくたどっていくと、「開目抄」の「山に山をかさね波に波をたたみ難に難を加へ非に非をますべし」との一節が、ますます実感をもって胸に迫ってきます。
 森中 建治元年御述作の「単衣抄」には、立宗宣言以来の諸難を振り返られた上で、「二十余年が間・一時片時も心安き事なし、頼朝の七年の合戦もひまやありけん、頼義が十二年の闘諍もいかでか是にはすぐべき」と仰せられています。先生がかつて「どんな合戦よりも激しい「精神革命の大闘争」」と言われた所以です。
 池田 このような大難の連続の中にありながら、大聖人の心はいつも太陽の如く晴れ晴れとしておられた。広大な大海原のような大境界です。どんな激浪にも海そのものは泰然としている。微動だにしません。
 それは、万人成仏の真理への深い深い確信と末法救済の大願、そして、あらゆる魔性を恐れぬ師子王の心によって成就された、広大な御境地です。
 佐渡流罪の渦中に著された「如説修行抄」を拝すると、大聖人は末法の闘争、すなわち魔との攻防戦を、あたかも楽しんでおらっれるかのように振り返られています。
 森中 「かかる時刻に日蓮仏勅を蒙りて此の土に生れけるこそ時の不祥なれ」で始まる一節ですね。
 では、そのあとを続けて拝読してみます。
 「法王の宣旨背きがたければ経文に任せて権実二教のいくさを起し忍辱の鎧を著て妙教の剣を提げ一部八巻の肝心・妙法五字の旗を指上て未顕真実の弓をはり正直捨権の箭をはげて大白牛車に打乗つて権門をかつぱと破りかしこへ・おしかけ・ここへ・おしよせ念仏・真言・禅・律等の八宗・十宗の敵人をせむるに或はにげ或はひきしりぞき或は生取られし者は我が弟子となる、或はせめ返し・せめをとしすれども・かたきは多勢なり法王の一人は無勢なり今に至るまで軍やむ事なし、法華折伏・破権門理の金言なれば終に権教権門の輩を一人もなく・せめをとして法王の家人となし天下万民・諸乗一仏乗と成つて妙法独り繁昌せん時、万民一同に南無妙法蓮華経と唱え奉らば吹く風枝をならさず雨つちくれを砕かず、代は羲農の世となりて今生には不祥の災難を払ひ長生の術を得、人法共に不老不死の理顕れん時を各各御覧ぜよ現世安穏の証文疑い有る可からざる者なり
 〈通解〉――このような悪世末法の時に、日蓮は仏意仏勅を受けて日本国に生まれてきたのは、時の不運である。だが法王たる釈尊の命令に背くわけにはいかないので、一身を経文に任せて権教と実教との戦いを起こし、どんな難にも耐える忍辱の鎧を着て、南無妙法蓮華経の利剣を提げ、法華経一部八巻の肝心たる妙法蓮華経の旗を掲げ、未顕真実の弓を張り、正直捨権の矢をつがえて、大白牛車に打ち乗って、権門をかっぱと破り、あちらへ押しかけこちらに押しよせ、念仏・真言・禅・律等の八宗・十宗の謗法の敵人を攻め立てたところ、ある者は逃げ、ある者は引き退き、あるいは日蓮に生け取られた者は、我が弟子となった。このように何度も攻め返したり、攻め落としたりはしたが、権教の敵は多勢である。法王の一人は無勢であるから、今にいたるまで戦いはやむことがない。
 しかし「法華折伏・破権門理」の金言であるから、最後には、権教権門を信じている者を、一人も残さず折伏して、法王の家人となし、天下万民、すべての人々が一仏乗に帰して三大秘法の南無妙法蓮華経が独り繁昌するようになった時、すべての人々が一同に南無妙法蓮華経と唱えていくならば、吹く風は穏やかに枝を鳴らすことなく、降る雨も壌を砕かないで、しかも世は羲農の世のような理想社会となり、今生には不祥の災難を払い、人々は長生きできる方法を得る。人も法もともに、不老不死であるという道理が実現するその時をご覧なさい。その時こそ「現世安穏」という証文が事実となって現れることに、いささかの疑いもないのである。
 池田 「戦う心」の躍動が、ひしひしと感じられる御文です。あらゆる魔との戦い、そしてそれに打ち勝つところにしか真の「安穏」がないことを大聖人は確信されていた。そのことを御自身の戦いを通して実証されたのです。だから、そこにあるのは大いなる喜びなのです。
 大聖人は、民衆を救うために、末法の時代にはびこる魔性を打ち破る戦いを起こされた。それが「権実二教のいくさ」です。実教に至る準備段階であるべき権教が、邪法の僧によって実教を妨げる邪法と化してしまっている。それを正す法戦です。
 大聖人は、ただ難を受けたのではなく、この「いくさ」を起こしたと仰せです。法華経の肝心である「妙法五字の旗」を掲げての宗教革命です。広宣流布の戦いです。そして「今に至るまで軍やむ事なし」とあるように、二十余年にわたって続いている。戦い続ける人が仏です。民衆を守るために、民衆の幸福を築くために、仏は戦い続けるのです。
 斎藤 大聖人は末法という悪世に生まれ合わせたことを「時の不祥なれ」と言われていますが、これはもちろん嘆きとは無縁の言葉と拝されます。末法広布という偉大な使命に生き抜くことを断固として決めた以上、時代の悪と進んで戦い、必ず乗り越えてみせるという決意に満ちた言葉にほかなりません。
 池田 その通りです。末法という「悪世」の真ん中で戦っていくことを、むしろ喜びとされている。なぜならば、その戦う生命にこそ「現世安穏」があり、永遠の成仏の道があるからです。
 戦う人が内証において現世安穏を成就しているからこそ、その戦いを最後まで押し進めれば、必ず「吹く風枝をならさず雨壌を砕かず」という、誰の目にも明らかな現世安穏の世界が現出すると仰せです。しかも、その世界は、かつてない不老不死が実現する世界です。すなわち、永遠の妙法の力が人間にも社会にも躍動し、老いの苦しみや死の苦しみに左右されない真の幸福と平和の世界が現れるのです。
 平穏無事に生きることが「安穏」なのではない。何があっても揺るがない境涯を築くことです。そうすれば、いつも「安穏」です。信心の強き一念で戦えば、だれでもその大境涯を自分自身のものにできる。
 だから、「難来たるを以て安楽と心得可きなり」と仰せです。難が来た時こそ、成仏のチャンスなのです。
14  「人間とはかくも偉大なり」の証明
 斎藤 このように大聖人が留められた範を、そのまま現代に体現してこられたのが、牧口先生、戸田先生、そして池田先生の三代会長です。があって、私たちも、この三代の精神に続いて「成仏の道」を確信をもって歩むことができます。これほど、ありがたいことはありません。
 池田 大聖人はどこまでも凡夫として振る舞われ、凡夫として大難と戦い、そこに成仏の厳たる軌道があることを示してくださった。ゆえに、幾多の難を勝ち抜かれた御姿は、「人間とはかくも偉大なり」との証明にほかならない。
 大難に耐え抜いて、「難即成仏」の大道を身をもって切り開かれた。凡夫成仏、人間勝利の真髄を示されたのです。
 であればこそ、「例せば日蓮が如し」、「日蓮さきがけしたり」、「日蓮と同じく法華経を弘むべきなり」、そして「わたうども和党共二陣三陣つづきて迦葉・阿難にも勝ぐれ天台・伝教にもこへよかし、わづかの小島のぬしら主等をど威嚇さんを・をぢては閻魔王のせめをばいかんがすべき」と、後は弟子が続くよう促されています。
 「勇気を奮い起こして私と同じ道を歩みなさい。そうすれば必ず成仏できます」との御本仏の御断言なのです。

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