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日蓮大聖人・池田大作

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民衆本位・人間主義の「安国」観  

講義「御書の世界」(上)(池田大作全集第32巻)

前後
9  池田 牧口先生は、当時の時代を「末法の悪・国家悪時代」と断言しておられた。
 権力の暴走に一国がこぞって押し流されていた時に、牧口先生は巌のごとく揺るぎなく立っておられた。いかなる弾圧にも屈することなく、正義を主張なされた。そして、殉教されたのです。
 斎藤 いわゆる日蓮主義者は、人間を、国家の繁栄のための手段とした。国家権力に奉仕する宗教観であった。それに対して、牧口先生は、国家を、人間の幸福のための手段とした。ここに決定的な違いがあったと思います。
 森中 牧口先生と日蓮主義者の違いは、教育にも顕著に現れています。
 「教育勅語」のもとでの教育は、皇国の臣民を養成する教育でした。
 田中智学は、「教育勅語」を「世界第一の貴重なる経典」と持ち上げています。さらに、小学校、中学校で徹底して軍隊教育することだ、と主張している。
 これに対して、牧口先生は、「教育勅語」は「人間生活の道徳的な最低基準を示されているにすぎない」と断じておられます。
 また、「教育勅語」には「一旦緩急あれば義勇公に奉じ(=危急の場合は、義勇を国に捧げ)」とありmくぁすが、「平和が大事である。平和を考えていきなさい。平和を守れば、『緩急あれば』などということは必要ない」と話されています。
 牧口先生は、子どもたちに「どうすれば将来もっとも幸福な生涯を送らせることができるか」を目指しておられました。
 「牧口先生は、軍国主義の教育は全くされなかった。『平和しかない』と教えた。あの時代の中で、全く驚くべき教育でした」。そう振り返る教え子の声もあります。
 池田 万人の生命に備わる偉大な可能性を、いかに開花させていくか。そこに日蓮仏法、そして創価学会の運動の根本目的があります。だからこそ、牧口先生は、それを阻む権力の魔性とは、徹して戦われたのです。断固として国家諫暁されたのです。
 国家権力の魔性にひれ伏す宗教にあっては、人間は、国家の繁栄のための手段に過ぎない。要するに、日蓮主義者は、国家を超える視点を持ち得なかった。
 日蓮大聖人は、当時の権力者を、宇宙大の妙法の次元から見下ろしながら、同時に、苦悩にあえぐ民衆の真っ直中に入り込んで闘争を展開された。
 牧口先生も、同じ道を歩まれた。日本の狂った国家主義を見下ろしながら、厳然と批判されていた。しかも、単に批判するだけではない。
 牧口先生が偉大なのは、民衆の中に入られて、苦楽を分かち合いながら、徹して対話を続けられたことです。特高警察の厳しい弾圧にもかかわらず、戦時下で二百四十回以上も座談会を開かれていたことが、牧口先生に対する起訴状に記されています(昭和十六年五月から十八年六月まで)。
 これほどまでに、民衆と徹して語り合って、広宣流布を実現しようとした勇者がどこにいたであろうか。日蓮大聖人の立正安国の精神を蘇らせたのは、牧口先生です。まことに不思議なる偉大な先生です。学べば学ぶほど、その思いを深くします。
 斎藤 牧口先生は、戦争が始まってから、友人だった柳田國男氏のところにも折伏に訪れています。柳田氏は仏法を理解せず、時に批判的でしたが、当時の牧口先生の活動について、戦後に回想しています。
 「若い者を用つて熱心に戦争反対論や平和論を唱へるものだから、陸軍に睨まれて意味なしに牢屋に入れられた。妥協を求められたが抵抗しつづけた為め、牢の中か、又は、出されて直ぐかに死んでしまった」(『定本柳田國男集』別巻第三、筑摩書房)
 牧口先生が、青年と共に「平和」を声高らかに唱えていた、一つの証拠です。
 森中 こうした国家主義の流れに一貫して迎合的な態度をとってきたのが、日蓮正宗宗門です。日蓮系の各派が、大聖人に「立正大師号」を宣下するよう政府に請願した際も、一緒になって運動しています。
 軍部の圧力が激しくなると、伊勢神宮の神札も受けました。
 「日蓮は一閻浮提第一の聖人なり」など、大聖人の御金言を十四カ所にわたって御書から削除したほか、御書の刊行まで禁止してしまった。勤行に使う経本の観念文を皇国史観の色濃い内容に改変するなど、保身と権力迎合に終始しています。
 池田 その通りだ。宗門には、人間の尊厳を踏みにじる国家主義と戦う意志など、ひとかけらもなかった。
 タゴールはこう語っています。
 「われわれは人類を代表して起ちあがり、すべての人々に、このナショナリズムというものは恐ろしい悪性の疫病であり、現代の人間世界を侵し続け、その道徳的活力を食いつくしている、と警告しなくてはならない」(蝋山芳郎訳、『タゴール著作集』第八巻)
10  人間の安全保障
 森中 災難にあえぐ民衆への同苦から、大聖人は「立正安国論」を著されました。
 そこで思い出すのは、池田先生が「SGIの日」記念提言等で紹介してこられたアジア人初のノーベル経済学賞受賞者のアマルティア・セン博士(ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ学長)です。アマルティア(不滅・不朽なるもの、という意)というのは、タゴールが付けた名で、博士は、タゴールの学園に学びました。
 セン博士は、九歳のころ、三百万人に及ぶ餓死者を出したベンガル大飢饉を目の当たりにしています。まさに「骸骨がいこつみちてり」の世界です。それが経済学を志す出発点になったといいます。
 博士は、飢餓の問題は、政治や経済の歪みがもたらしたものだと明快に分析しています。天災は人災であったということです。そして、「適切な政策と行動によって除去できる」と断言されています。
 池田 セン博士は、昨年(二〇〇一年)四月、ボストン二十一世紀センターでも講演をしてくださいました。
 自然災害というのは、自然環境と人間社会の関係性の問題です。
 人々が、いがみ合い、憎しみ合って、社会全体に対立が渦巻いていれば、小さな天変地異が起きても、大きな被害が出てしまうでしょう。どんな天災にも人災とみなしうる面があります。一次元から言えば、人間と社会の生命力が、災害の意味を決めるという言い方もできるでしょう。
 「立正安国論」で、最終的に人災の最たるものである戦争への警告に向かっていくのも、大聖人が、そうした視点をもたれていたからと拝されます。
 セン博士は、カントの格言に幾度も言及している。
 「(=カントが言っているように)"人間性は目的自体であり、断じて手段と見なされてはならない"のであって、現在においてさえ、この言葉はその力を失っていない」(大石りら訳、『貧困の克服』、集英社)
 人間を、経済発展のための手段と考える転倒を正し、人間を目的に据えるところに、博士の経済学の核心があるのではないでしょうか。博士は、相互のかかわりあいと啓発を通して人間の開発と深化をめざす仏法の実践にも、深い共感を示されています。
 森中 近年、注目されている「人間の安全保障」という考え方も、セン博士の発想から触発を受けていますね。池田先生も「SGIの日」記念提言や世界の大学講演で、いち早く提唱されてきた理念です。
 池田 それまで安全保障といえば、「国家の安全保障」であった。国家を守ること、領土を守ることが、最優先されてきたのです。
 しかし、国家が守られても、人間一人ひとりの生存と尊厳が脅かされていては、何のための安全かわからない。
 現在、「国家中心」から「人間中心」へ、安全保障観の見直しが進められています。「人間の安全保障」の考え方は、まず「人間」「生命」を守るという基本発想に立っています。こうした発想が生まれた背景には、地域紛争、差別などの人権侵害、貧困の増大、人口爆発、環境破壊など、さまざまな地球的課題が人間の生存を脅かしている状況があることは、いうまでもありません。
 斎藤 「国家」の呪縛が解け始めて、ようやく「人間」が見えてきた。日蓮大聖人の「安国」の内容も、一次元からみれば現代において言われている「人間の安全保障」に、ほぼ対応するものと考えられないでしょうか。
 池田 「三災七難」の脅威から、民衆一人ひとりの安全を図っていくという点では、まさに「人間の安全保障」です。
 人間一人ひとりは、人種や民族や性別にかかわらず、限りない、豊かな可能性をもっている。その可能性を開花させるために、社会が存在するといってもよい。そうした社会を創ることが、「安国」にほかならない。「一身の安堵を思わば先ず四表の静謐を祷らん者か」という「立正安国論」の精神も、そこにある。
 斎藤 日蓮大聖人は、「人間の安全」について、こうも洞察されております。
 「三毒がうじやうなる一国いかでか安穏なるべき、壊劫の時は大の三災をこる、いはゆる火災・水災・風災なり、又減劫の時は小の三災をこる、ゆはゆる飢渇・疫病・合戦なり、飢渇は大貪よりをこり・やくびやうは・ぐちよりをこり・合戦は瞋恚しんによりをこる
 池田 「立正安国」は、生命の根本的な濁りを浄化して、人間社会全体の安全を実現していく最も根源的な平和哲学です。
 そうした哲学が、日本一国に限定されるはずがない。世界の平和と人類の幸福を実現していくことが、私たちの仏法運動の目的です。「暴力と恐怖の世界」に転落していくのか、「平和と安穏の世界」を構築していくのか、人類は今、重大な岐路に立たされている。
 戦争という人類の宿痾(持病)を乗り越えて、地球規模の「立正安国」を実現しなければならない。そのために、人間それ自身の変革から出発しなければならない。
 「一人の偉大な人間革命から、全人類の宿命転換を実現する」――その壮大なる革命の最前線に、私たちは立っているのです。
 斎藤 ありがとうございました。
 「立正安国論」については、まだまだ語っていただきたいことが多く残っていますが、別の機会に譲りたいと思います。

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