Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

生きる  

「わたしの随想集」「私の人生随想」「きのう きょう」(池田大作全集第19…

前後
3  私はここで、そのどちらがいいかを論ずるつもりはない。また、それについて、こうあるべきだと押しつける資格もないが、ただ、人間として、人生を生きる以上、やはり、この自己の存在というものに目を向けないかぎり、人生の意味も、真実も、つかみえないのではないかと思うのである。
 ある人が、革命とは、自分自身が、何ものか得体の知れぬものに飼育されているという自覚が生まれたとき、生ずるものだと述べていた。もちろん、生活上の不満や矛盾が直接の強い動機になっていようが、たしかに、そうした、主体者であるべき人間が、自分ではない他のものに束縛されているという実感、苛立ち……これが、革命の人間的動機であるかもしれない。
 その束縛しているもの、飼育している要因が、社会機構のなかにあるとみたのが、マルクスであろう。しかし、それだけでは、まだ人間が、ゆえもない生と死という、得体の知れないものによって束縛されているという問題は解決されえないのではないだろうか。
4  そうすると、どうしても、この生死の縛に分析の鉾先を向けざるをえない。そこに解決の光を当てた哲学を得たときに初めて、人間の、最も奥深い座からの解放があるように思われる。
 そして人類が、このきわめてラジカルな視点から、己を新たに構築しようとしたときに、人間疎外なる問題に対しても、一つの明確な曙光が見いだせよう。現代の文明の状況は、人間に、それを課しているように、私には思えてならない。

1
3