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日蓮大聖人・池田大作

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生の躍動  

「わたしの随想集」「私の人生随想」「きのう きょう」(池田大作全集第19…

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3  ある学説によると、この広い大宇宙には、地球と同じような条件の星は数十億もあろうといわれる。したがって、地球人のような構造の生物も、存在するかもしれないと想像されている。
 そうした天体のなかに、人類と同程度あるいはそれ以上の知能をもった生物がいるであろうことも、現代天文学の進んだ眼は推察しているようだ。ただ、あまりにも離れすぎているために、互いの接触がないのであろう。そこでは、彼らも同じように生死の苦の深淵に悩み、また同族相食む闘争を繰り返しているのであろうか。それとも、生命の尊さにめざめ、緑したたる楽園を築いているであろうか。
 それはともかくとして、地球以上の過酷な環境のなかでも生命が発生する可能性さえ、科学者は予測している。たとえば、摂氏零下五十度ぐらいの低温の世界でも、アンモニアを水がわりにして生命活動を営むことがありうるとし、数百度の高温の世界でも、硫黄を水のかわりにして、シリコンのようなものが生命体を形成する可能性もあるというのである。
 シリコンといえば、岩石をつくる成分である。それが生命体をつくるとなると、もはやどのような頭脳の働きを示すものなのか、想像さえつかないが、われわれからみれば、とうてい生存不可能と思える、酷寒、灼熱の天体でも、強靭に生命を形成することが考えられているとすれば、生命の不可思議さに、あらためて脱帽せざるをえなくなる気持ちである。
 一昨年、果てしなき宇宙空間から飛来した隕石からは、地球のものとは明らかに異なるアミノ酸が発見されたという。地球以外にも生命のもととなるものが存在することを示した最初の証拠と注目された。真空に近い宇宙空間を、内に生への起動力をたたえたアミノ酸がただよっていることを想像すると、宇宙自体が、生命の萌芽をいたるところにいだいた、偉大な母胎であるような気さえしてくる。
4  フランスの哲学者ベルクソンはその著『創造的進化』で、全宇宙を進化の過程としてとらえる壮大な形而上学を打ち立てた。十代の終わりごろ、ベルクソンの哲学に惹かれた私の脳裏には、今も「エラン・ビタール(生の躍動)」という言葉がこびりついている。宇宙、生命の神秘を垣間見たベルクソンの魂の叫びであったろう。
 彼は『創造的進化』を書き終えたときの心境を、次のように述べている。
 「それまでは、数学と物理学に非常な興味をいだいていた。物質もまた一大神秘だと言いかねなかったことだろう。それ以後は違う。生命に注意を集中したとき、わたしは生命が大神秘であることが分かった」
 「生の哲学者」ベルクソンのこの感動を、現代人は謙虚に分かちもつ必要があると私は思う。生命、宇宙の神秘さに心を傾けることなく、いたずらに生を浪費することは、みずからに対する、また宇宙自然に対する叛逆ともなろう。
 宇宙人へのメッセージを積んだ木星探査機パイオニア10号が飛んでいるという。それがたとえ何百万年先のことであろうと、夢があっていい。天空を飾る星座は、それぞれの軌道を無表情に運動しているかのようでありながら、生々のリズムを刻んでいる。その宇宙と夜ごと対話し、生命の不可思議さ、その本源の深慮さを謙虚にみつめ思索する、余裕のある人生の姿勢をもちたい。そこに人間らしさというものを支える、見えない基盤があるのではあるまいか。

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