Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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極大と極小の間  

「わたしの随想集」「私の人生随想」「きのう きょう」(池田大作全集第19…

前後
4  大宇宙や素粒子の世界――これらは、人間と、あまりにもかけ離れた存在のゆえに、そこを貫く法則もまた、われわれの想像を超えたものがある。
 それらの法則の一つに、相対性原理があろう。すべての運動は、相対的であること、光速は不変で、それを超える伝播速度はないという簡単な二つの原則から、ユダヤ人の天才アインシュタインは現代科学の画期的な基盤を築いた。そこから出る結論は、あまりにも超常識的な事柄ばかりである。
 光速に近い速度で離れているロケットの中では、時間が遅くなり、長さが短くなり、物が重くなる。ロケットの相対速度も、たんなる加減算は通用しない。そして、ロケットに乗って帰還した人は、地球にいる人よりも年が若く、今様浦島になるという結論ほど、人を驚かせるものはあるまい。
 そのほか、宇宙モデルとしてあげられた、閉じた四次元空間なども、この人間的世界の常識なるものを、一言のもとに粉砕するような大胆な説である。
 素粒子という、極微の世界でも、不可解さは変わることがない。古代ギリシャの昔、物質の究極の単位は「原子」であるとデモクリトスは推測した。これはあるていど正鵠を射ていたであろうが、事実はさらに複雑だった。
 物質の最小単位を追究しながら科学者は、それが単純な物質ではありえないという皮肉な結論に到達せざるをえなかったのである。素粒子が、粒子という言葉をもちながら、しかも同時に波動でもあるという厳粛な事実から、科学者たちは、物質に対する認識を変えつつあるようだ。
5  この極大と極小の世界の法則は、一見かけ離れているようでありながら、じつは深いところで結びついている。
 大宇宙の壮大な法則を啓示した、相対性原理は、最小の世界「素粒子」を追究して証明されたという。光速に近い、素粒子の寿命が延びていることが観測されたのである。また、素粒子の不可思議さに遭遇した現代科学は、物質の究極を一種の「エネルギー」「場」「回転」で理解しようとしている。大宇宙のモデルを追究する、宇宙方程式も、素粒子の「場の量子論」をもとにしているという。
 極大と極小の世界を追究する科学が、ともに非常に哲学的な言葉、概念で表現せざるをえないということも、興趣をひく問題である。
 物質至上主義に引きずりまわされ、あくせく争っているのは、その中間たる人間だけなのであろうか。
 幾重の次元にも、階層的に重なり合いながら、整然たる法則で統一されている大宇宙という場――そのなかの人間の「エネルギー」「生命の場」というものは、いかに開発されていくべきか。ここに哲学への要請があるように、私には思えてならない。

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