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日蓮大聖人・池田大作

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「撰時抄」 我が振る舞いこそ信心の結晶

講義「諸法実相抄」「生死一大事血脈抄」(池田大作全集第24巻)

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9  ”一人の蘇生が万人の蘇生に通ず”の方軌
 次に「二人・三人・十人・百千万億人・唱え伝うるほどならば」とあることに注目したい。
 いかなる運動も歴史を概観するならば”一人”から始まっている。私どもの運動においてもまたしかりである。どとまでも”一人””一人”の人間に焦点を当て、そこに一切の可能性を見いだしていくのが仏法なのであります。
 その”一人”の人間を最大に尊び、いかなる階層の人であれ、生命の絶対的尊厳の立場から、どこまでも平等に、徹底して守り抜いていく――これが我が人間革命運動の骨格をなすものであります。
 そうした”一人”が”二人”となり”三人”となって、やがて百千万億人となる。この百千万億は単なる数字というより、無限に、行き詰まりなく、と言うことです
 創価学会の歴史のうえに言うならば、草創期の渓流は、障魔の砂を下し、強敵の岩をはみ、今や悠々と未来へ流れゆく大河を現出したことにあたるわけであります。大河は両岸に肥沃な大地を提供しつつ、社会貢献の実りをもたらしている。まさに「河が深ければその水は滑らかに流れる」(シェークスピア)実相ともいえるでありましょう。
 我が創価学会は、無名の庶民が立ち上がって築いた尊い団体であります。権力によるものでもなければ、利害や好悪の感情によるものでもない。ただ、ひたぶるに汗と労苦によって築き上げた世界なのであります。
 過去の悲惨な運命の曲から、色彩鮮やかな希望のメロディーへと変転していった一庶民の生活詩が、やがて万人の生活詩へとつづられていったのであります。
 かつての釈尊の仏法を俯瞰する時、それは言わば上からの改革であった。
 しかし、日蓮大聖人の仏法は「旃陀羅せんだらが家より出たり」とお示しのごとく、無名の庶民からの仏法流布の流れであり、この大聖人の御金言を事実のうえで証明したのが、日蓮正宗創価学会なのであります。
 一人の覚醒に始まり一人が一人の宝塔を開き、そのまた一人が次の一人の宝塔を聞いていく――この地道にして着実なる民衆次元からの盛り上がりこそ、我々が目指す真実の広宣流布の実像なのであります。
 ともかく、全国の会員の努力と熱誠によって、広宣流布の様相もようやく安定と向上の新たな段階に入りました。御本仏の御遺命どおり私どもは、今度は自らが一滞となり、一徴塵となって、人間であることの共通の基盤に立ち、それぞれが信頼の核となり、新たな生命の自覚を呼び起こす運動を堅実に進めていくべきでありましょう。
 そうした自らの新たな生命の自覚が、次の自覚ある一人を生み、それが二人、御聖訓のままに大涅槃の大海となり、妙覚の大山へと連なっていくのであります。
 この世で最も偉大なものは何か。それは太陽のいつも変わらぬ同じ運行が示すごとく、最も地道な作業を忍耐強く繰り返しゆく軌道の中にあるといってよい。一人の人間の心を深く知り、理解と信頼を得ていく作業は、たしかに忍耐と困難がつきまとう地道な労作業と言わねばならない。しかし、誰が見ていようと、見ていなかろうと、黙々と一人一人の心と心を通わせ、そこに誠意と信頼を交流させゆく行為は、万人の心をつかむことに通ずるのであります。
 恩師は叫ばれた。
 「青年よ、一人立て! 二人は必ず立たん、三人はまた続くであろう」と。
 いずれの時代にも方軌は同じであります。すべては”一人”から始まり、それは新しい一人の胸中の輝きとなり、一人の光は万人の胸中の輝きへと広がっていくのであります。「星火燎原」という中国の言葉がありますが、一点の火が燎原の火となって燃え広がっていくとの意です。私どもの広布の時代は、まさに「妙法の星火燎原」と言ってよいでありましょう。
10  広布にかける生涯に人間革命
 仏になる道は此れよりほかに又もとむる事なかれ
 仏になる道はこれよりほかに求むべきではないのである。
11  結論して言うならば、広宣流布の道に進む以外に成仏はありえないということです。人を救うということは、自分自身の宿命転換に通ずるということであります。人の生命に妙法を涌現させていく戦いをしていくことが、自分自身の生命の扉を開いていくわけであります。これは、あたかも地球が自転と公転を同時にしながら、己の厳しき軌道を運行している姿にも似ております。公転は広宣流布、一生成仏は自転とも考えられます。
 「此れよりほかに又もとむる事なかれ」――この一句に注目したい。あくまでも地道な実践の積み重ねが大事であるということです。自行化他にわたる強盛な信仰の持続によって初めて、妙覚の須弥山にも、涅槃の大海にもなっていくのだとの仰せです。そして、この大聖人の御指南をどう受け止めて実践していくかということであります。一人だけの信仰などということはありえません。我が生涯を広布にかける――それ自体が偉大なる人間革命になっているのであります。
 広宣流布というものは、仏の所為であります。ゆえに、広宣流布を推進することは、如来の所遣として、如来の事を行ずることになります。この尊い使命を、一丸となって進めていくところに、必ず広宣流布は実現していくことを確信していただきたいのであります。

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