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日蓮大聖人・池田大作

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「人間復興のエートス」を求めて マックス・ウェーバー『宗教社会学論集』

「若き日の読書」「続・若き日の読書」(池田大作全集第23巻)

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6  「人間のための宗教」が未来を拓く
 私は、一九九三年一月末から二月はじめ、南米訪問に先立ち、一年四カ月ぶりにアメリカを訪れた。アメリカが直面する問題の一つに、「労働倫理(ワーク・エティクス)」の問題があるが、ウェーバーは早くから、その背後に隠されている病理を、見すえていた。
 病のため教職を退いていた一九〇四年、彼は夫人とともにアメリカを旅した。巨大な生産力、経済力の台頭とともに、急速に発展しつつあった今世紀初頭のアメリカ。そのバイタリティーあふれる社会と国民性の背後に彼は何を見たか。それは社会を貫く「経済合理性」の巨大さ故の精神性・倫理性の稀薄化の兆し──人間精神の退廃の予兆であった。そこに彼の先見の眼の鋭さがあった。
 ヨーロッパ文明の危機は、ほかならぬ、その文明を生んだキリスト教的エートスに、はらまれていた。だが文明は、確たる宗教的精神なくしては破綻せざるをえないということも事実である。「人間の復興」を希求しつつも、そうしたジレンマの前に立ちどまらざるをえなかったウェーバーの苦悶は、それまでの「神のための宗教」の限界を超克する新しき世界宗教──「神」ではなく「人間」へと向かう「人間のための宗教」の光を模索していたとはいえまいか。
 イギリスの世界的な天文学者であるフレッド・ホイル博士は、博士の愛弟子でもあるウィックラマシンゲ博士と私との対談集(『「宇宙」と「人間」のロマンを語る』毎日新聞社)に、序文を寄せてくださった。そこで大要、こう述べておられる。
 ──キリスト教に代表されるヨーロッパの宗教は、人類を取り巻く「宇宙」と「世界」を狭くした。「字宙」と「世界」、「宇宙」と「人間」を分断した。長い間、宗教によって狭められ、歪められてきた宇宙観・世界観──そうした「閉じた箱」には、もはや活力も、新しい発見もない。今後は、宇宙と世界と人間を結び、つつみこむ新しい宇宙観、新しい価値観の枠組み──「開いた箱」こそが必要なのだ、と。
 博士の言葉もまた、「宗教のための宗教」──「人間」という、奉仕すべき目的を見失った「転倒の宗教」への痛烈な批判であろう。そうした「閉じた箱」の宗教が織りなしてきた歴史に、人類は最早、こりごりしている。求められるべきは「開いた箱」の宗教──人間と社会、世界を結ぶとともに、どこまでも「人間への奉仕」を根底に据えながら、ひろく社会の進歩と向上をリードしゆく「人間のための宗教」であろう。
7  また、時代はつねに動いている。社会は激変し続けている。そして、実社会に生きる人間は、限りなく多様多彩である。博士も指摘されるように、その千変万化の変化相に即応する、ダイナミックな世界観・社会観・人間観を示してこそ、宗教本来の価値があろう。その意味で、時代と社会に目を閉じ、その要請に応えられない教えや教団は、いつか流れもよどみ、衰亡せざるをえない。今も、私たちが眼前にしているとおりである。
 物質文明のなかで衰弱しきった人間の精神を復興し、真の「人間の世紀」を開きゆく「人間のための宗教」への道。また、政治・経済・文化をはじめ、あらゆる分野を、「人間のための宗教」の価値の光で照らしゆく、「宗教と社会」の架橋作業──私は書を閉じつつ、仏法の壮大な「人間主義のエートス」の可能性の未来に、あらためて思いを巡らせていた。
 ともあれ、物質文明の冷笑的な歯車に押し潰されるかのような時代に、人間の「生」の蘇生を求めたウェーバーの叫び。それは、従来の「世界宗教」の限界を超えて、人間と社会と世界を結びゆく仏法の哲理とも、深い共鳴の和音を響かせている。「神」から「理性」へ、そして「人間」「生命」へと向かう、人類と文明の巨視的な流れを、はるかに望んでいたかのごとく。
 ドイツ敗戦後の混乱期に迎えた最晩年──彼は、長く遠ざかっていた教壇に、ふたたび立つことを決意する。病み疲れた身を、学生との交流と討論の第一線にさらそうと立ち上がる。
 「人間復興の時代」の黎明を探し求めた彼の精神の軌跡に、人生の最後の炎を、青年たちの来来のために燃焼しようとした恩師の姿が重なる。──その風貌は、今なお、精神の「新しきエートス」創造への情熱を訴えてやまない。
 ──車中の思索は、いつしかウェーバーとの「対話」から、ふたたび病篤き恩師の元へと戻った。恩師の示された、「社会」と「世界」への大道──その本格的な戦いの歩みを進める時は、刻一刻と近づいていた。

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