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日蓮大聖人・池田大作

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「最極の宮殿」はわが胸中に ミルトン『失楽園』

「若き日の読書」「続・若き日の読書」(池田大作全集第23巻)

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6  「民衆の幸福」こそ真の目的
 罪を犯したアダムとイブは「楽園」を追放される。しかし詩人は、悔悛したアダムに「真理のためには苦難に堪えることこそ最高の勝利にいたる勇気そのものであり、信仰をもっている者にとっては死も永遠の生命にいたる門にすぎない、ということをしっかり学んでゆきたいと思います」と語らせている。
 そして二人は、「自分の内在る楽園を、遥かに幸多き楽園を」求めて、新たに旅立っていくのである。追放ゆえに悲劇ではあるが、二人の心はもはや「悲劇的」ではない。
 このラストシーンを読みながら、イブの「破戒」を知ったアダムの絶望のつぶやきを想起した。すなわち「この寂しい荒涼たる森‥‥」と。彼の「内なる楽園」が壊れた瞬間、「外なる楽園」も幻のごとく消え去り、荒涼たる風景に一変してしまったのである。
 つまりミルトンは、胸中に築かれた「内なる楽園」こそ、何ものにも崩されぬ「真の楽園」であり、それなくしては「外なる楽園」もありえないことを語ろうとしたのではないだろうか。そう考えるとき、ミルトンが生涯かけて求め続けたものが、鮮やかな輪郭をもって現れてくるように思えるのである。
 かつて、戸田先生は「革命は幸福を追求することである」と教えてくださった。まさに人間の幸福こそ、民衆の幸福こそ、真の「革命の目的」であろう。そして、一人一人の胸中に「最極の宮殿」を築きゆくことが、これからの革命の指標とならねばならない。
 革命期を生き、失明の運命と戦い、迫害と投獄など幾多の苦難と戦いつつ『失楽園』を謳い、人間の「内なる幸福の楽園」を謳ったミルトン。まさしく「革命詩人」の名にふさわしい詩人であった。人生そのものが「叙事詩」のごとき一生であった。
7  若き日のミルトンに、こんな印象的な言葉がある。
 「もしも神の偉大な贈物の如き知識と知慧が与えられておれば、一家族でも、一人でも優に一国を改革するにたる」と。
 ふと私は、「人間革命」というわが永遠のテーマに思いを馳せた。

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