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日蓮大聖人・池田大作

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人間の大地に魂の雄叫び ゴーゴリ『隊長ブーリバ』

「若き日の読書」「続・若き日の読書」(池田大作全集第23巻)

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9  「死せる魂」の蘇生をめざして
 「そしてなおゴーゴリ氏は前進を続ける」
 『隊長ブーリバ』をむさ、ぼるように読んだ親友プーシキンは、こう語っている。その言に違わず、ゴーゴリは続けざまに、官僚社会の悪弊を辛辣に揶揄した戯曲『検察官』を書き上げている。
 彼は、この戯曲の題字として「自分の顔が歪んでいるのに鏡を責めて何になる」という言葉を掲げた。すなわち、歪んだ現実を見つめることなく、それを活写したこの作品をあれこれあげつらっても仕方がない、という人を食ったような挑戦状である。案の定わきおこった騒然たる非難と称賛の嵐のなかで、彼は平然と笑っていた。
 ゴーゴリは「笑いの作家」ともいわれる。たしかにゴーゴリの作品には、悲劇をも喜劇に突き抜けさせるような陽気さがある。そして、人間の尊厳を卑しめるものに対する小気味よい哄笑がある。
 ゴーゴリはみずからの「笑い」を「人間の光り輝く本性から流出してくる、物事の底に深く浸透してくる笑い」と名づけている。すなわち、その奥には、世界を、そして人間を新しい目でとらえようとする瑞々しい探究心が脈搏っていた。だからこそ彼の作品は、現実の人間が蔵する限りない可能性を提示するものとなりえたのである。
 ゴーゴリのそうした「笑い」は、不滅の大作『死せる魂』のなかにも躍如としている。死んだ農奴を買いあさる詐欺師の物語という、滑稽かつ奇想天外な世界を創出することで、ゴーゴリはロシアの闇を、人間の「悪」を洗いざらい暴きだそうとした。彼は、生きているはずの人間のなかに、「死せる魂」すなわち魂の喪失を感じとっていたのである。
 そして、その鋭き眼光は、何よりもまず彼自身を貫いてやまなかった。その苦悩のなかで彼は、「死せる魂」の蘇生をも描こうとしている。残念ながら未完に終わっているが、ダンテの『神曲』のごとく、第二部では主人公の贖罪を、第三部では人類の救済を意図していたといわれている。
 ゴーゴリは「万物の鍵は魂の内にある」という信念を抱いていたそれは、「道路、橋、その他の交通機関を建設することは必要である。しかし、内面のあまたの道をならすことは遥かに必要である」という言葉にも如実に表れている。だからこそ彼は、一にも二にも、人間の魂の覚醒をめざした。ほかでもないみずからの生活の場で、醜悪な現実の闇と格闘したのである。
 たしかに、それは途方もなく困難な作業であったにちがいない。評論家の小林秀雄氏は、著書『ドストエフスキイの生活』のなかで、「ゴオゴリを狂死に導いたものは、まさしくまだ世界にないものを創り出す苦痛であった」と述べている。しかし、彼はあえてその「苦痛」に立ち向かった。「生ける魂であれ、死せる魂となるな」という彼の遺言は、今なおその光芒を失っていない。
10  ロシアの大地から、トルストイやドストエアスキー、ゴーゴリ、プーシキンといった多くの世界的文豪が生まれたのはなぜか。以前、あるロシアの友人と語りあったことがある。その友人いわく──「ロシアの歴史的状況が生みだしたさまざまな苦悩や悲哀が、彼らの精神の高揚・飛翔をもたらしたのではないか」と。
 「大いなる苦しみ」こそが「大いなる精神」を生んだ。文豪ゴーゴリも、たしかにその一人であった。
 「ゴーゴリは人間の生を一瞬にして照らしだした稲妻である。その作品の放つ光は不滅である」──わが友人アイトマートフ氏の言である。

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