Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

人間の魂に触れる詩 ホイットマン『草の葉』

「若き日の読書」「続・若き日の読書」(池田大作全集第23巻)

前後
10  これは「ブロードウェイの華麗な行列」と題する長詩で、日本から来た使節団の行列を詩人がニューヨークの群衆にまじって見物したときの感懐を歌ったものである。
 一八六〇年といえば、日本では江戸幕末の万延元年のこと。ワシントンでの日米通商条約批准のため、新見豊後守忠興を正使とし、村垣淡路守範正を副使とする初の訪米使節団が海を渡った。このとき、使節団の護衛艦「威臨丸」に勝海舟や福沢諭吉が乗りこんでいた話は、よく知られている。
 もっとも、ここで詩人が「日本の貴公子」と呼びかける行列のなかに海舟や諭吉は含まれていない。彼らは西海岸のサンフランシスコに滞在し、帰国の準備に忙しかった。しかし、それにしても日本にとっては初の国際舞台への登場という壮挙である。
 ブロードウェイの群衆にまじって見物したホイットマンにとっても、よほど珍しかったにちがいない。当時の彼は四十一歳だったはずだが、興奮した勢いで「使命の捧持者たち」と題し、「ニューヨーク・タイムズ」紙上に発表したものである。のちに改題され、詩集『草の葉』に第四版から収められた。
 今、あらためて読みなおしてみると、詩人は日本からの使節団を迎え、東西融合の夢が実現しつつあるのを率直に喜んでいる様子が、よく解る。また彼が東洋そのものに憧れをいだいていたことは、他の詩によっても窺えよう。
 たとえば『草の葉』第五版(一八七一年)に付録として収められた「インドへの航旅」と題する偶作詩がある。
  インドへの航旅よ!
  はるかなコーカサスからの冷涼な風は人類の揺監をなだめすかし、
  ユーフラテスの川は流れ、過去は再び輝かされた。
  
  見よ、霊魂、回顧は前の方へと持ち来たされた、
  地上の国々の古い、最も人口の調密で、最も富貴なもの、
  インダス川とガンジス川とそれらの多くの支流の流水、
11  スエズ運河の開通、北米横断鉄道の完成、大西洋海底電線の敷設を記念して歌われた詩の一節である。わが民衆詩人は輝かしい近代科学の成果を讃えながらも、たんに物質的な繁栄のみでなく、これからの人類が東洋の精神文明に着目し、大いなる航海へ船出すべきだと歌いあげている。
 しかしホイットマン自身は一八七三年一月、五十三歳のときに突然の発作に倒れ、インドへの航海に出ることはなかった。晩年は外出も困難になった。彼は、今から百年前の一八九二年三月二十六日の早朝、肺炎がもとで七十二歳の生涯を閉じている。
 大洋に船出せんとしていたホイットマンが波瀾の生涯を終えた年、東京帝国大学の学生だった夏目金之助(のちに「激石」と号す)は、早くも「文壇に於ける平等主義の代表者『ウォルト・ホイットマン』の詩について」と題する論文を、明治二十五年十月の『哲学雑詩』に発表した。
 この論文のなかで「作者は是れ宛然たる一個の好詩人なるべし蓋し其文学史上に占むべき地位に至っては百世の後自ら定論あり」と、若き激石は記す。まさに「具眼の士」といえよう。詩人の没後百年を記念し、今秋(一九九二年)には創価大学にホイットマンの銅像が建つことになっている。

1
10