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日蓮大聖人・池田大作

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自然こそ最良の教師 ルソー『エミール』

「若き日の読書」「続・若き日の読書」(池田大作全集第23巻)

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9  人間復興の精神に共鳴
 『エミール』が発刊されるや、たちまち世は騒然となった。一七六二年、ルソー五十歳の節は、生涯でいちばん仕事をした時である。また多難な砌でもあった。
 その年の一月『マルゼルプへの四つの手紙』を書いているが、書簡とはいえ、名文として名高い。また四月『社会契約論』を発表し、ついで五月には『エミール』がオランダとパリで発売されたのである。『エミール』発刊の波紋は、ルソー自身にもおよんだ。六月、官憲は『エミール』を押収し、焚書ふんしょにしている。同時にルソーは、パリ高等法院で有罪の論告を受け、スイスのモチエに逃れた。
 告発はソルボンヌ神学部が行い、罪状は『エミール』に書かれた教会への鋭い批判、また人間の内なる良心と自然の善性こそ真実の神と断じたルソーの信仰観が、既成の宗教権威をいちじるしく損なったという理由である。そのほかにも、学校教育への痛罵、社交界の偽善を白日の下に暴露したこと等で、体制側の人びとの感情を逆なでしたことが、ルソーの立場を苦しくしたのは、いうまでもあるまい。
 ルソーは官憲に追われる身となった。だが、『エミール』の反響は、児童教育の福音書と呼ばれるほど、人びとの心を打った。ある伝によれば、自分の子をエミールそっくりに育てようと試みた人も出たという。
 しかし、思想上の宿敵ヴォルテールなどは、相変わらず冷やかな眼で見ていたようだ。彼は、かつてルソーが『人間不平等起原論』(一七五五年)を発表したとき、「あなたの本を読むと、四つ足で歩きたくなったが、残念ながらその習慣は五十年来廃止している」と揶揄したことがある。
 このように、賛否相半ばする論評を背に、ルソーは放浪をかさね、『孤独な散歩者の夢想』という遺作も未完のまま、一七七八年の夏、六十六歳で急死した。その存命中の激情と不遇な晩年のコントラストのなかに、私は、ルソーという巨人の宿命の光と影を見る思いがするのである。
10  ルソーの思想の光源は、すでに生前から西欧世界を照らしていた。
 ドイツにおいては、カントをして「人間の真の価値をさとった」といわしめたほど、その盛名は轟いていた。またゲーテも「ルソーとともに新しい時代がはじまる」と、彼の著作を読んで賛同している。
 死後は、彼の思想はいっそう光度を増し、ダイナミックな展開を遂げる。一年にして起こったフランス革命では、ロベスピエールなどによってルソーの思想が継承され、革命の導火線の役割を果たしたことは、あまりにも有名である。またアメリカの独立革命にも理論的根拠を与え、中国、ロシア、日本にまで、ルソーの思想的影響は流布している。
 わが国においては、中江兆民や島崎藤村らの文学者にルソーの影響は受け継がれた。中江が、自分の名を「億兆の民」をあらわす兆民とし、庶民を誇らかに自称していたととなども、ルソーの影響によるものと見る人もいる。
 現代においても、ルソーは謎の哲人、型破りな天才等と評される。その研究も、研究者の数だけある、といわれるほど多彩である。
 私も、これまでルソーについては何回か講演でも言及し、著作のなかでも浅学の一端を述べたことがある。彼の思想の根幹をなす自然人の思想、さらに、そこから創造される人間復興の精神には深く共鳴を覚える。
 恩師戸田先生も「子どもは、機会があれば田舎へ行かせて、はだしで土を踏ませなければ、丈夫に育たない」と、よく語っておられた。私は今でも、ルソーを読むと戸田先生のこの言葉を鮮やかに想起するのである。

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