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少壮時代の生き方 国木田独歩『欺かざるの記』

「若き日の読書」「続・若き日の読書」(池田大作全集第23巻)

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7  明治の青年の精神史
 私が『欺かざるの記』を愛読したのは、他にも理由がある。戦時中、私は少しでも家計の助けになればと思って、新聞配達もしたが、そのころから、いつか新聞記者か雑誌記者になろうとする夢を抱いていた。あたかも明治の開明期に、苦労してジャーナリストを志した独歩の若き雄姿のなかに、私は知らずして少年のころからの夢を投影して読んでいたのかもしれない。
 独歩は明治二十七年(一八九四年)十月、日清戦争の最中に軍艦千代田に乗り込み、従軍記者として中国へ渡った。そして、すぐれた戦事通信を「国民新聞」紙上に発表している。やがて文筆家としての国木田哲夫の名声は、はやくも一部の読者に知られるようになった。
 しかし彼は、いわゆる好戦的な国粋主義者ではなかった。大同江に上陸して、みずから掠奪をはたらいた行為に深く反省し、また艦上で海軍士官らと衝突、彼らに一片の思想も自己反省の哲学もみられないのを知ると、やがて軍人嫌いになっていく。
 そうした経緯を『欺かざるの記』によって読みとった私は、この明治の青年の精神史に、いよいよ愛着を覚えるようになっていった。
 なるほど独歩の読書領域は、きわめて広い。傾向は異なるが、たとえば同時代の森鴎外、夏目漱石、そして高山樗牛といった文人と比較しても、決して遜色ないほどの読書家である。
 さきに引用した文にもみられるように、カーライルであれば『衣裳哲学サーターリザータス』や『英雄及び英雄崇拝』は、独歩の終生の人生観、世界観、宇宙観を形成した。ワーズワースやバイロンの詩集は座右の書でもあった。これら泰西詩人の詩は、時に数奇な運命に翻弄された独歩の魂を慰めてくれたにちがいない。
 さらに若き日の独歩は、古今東西の英雄、偉人、宗教者の伝記を好んで読んだ。たとえば『欺かざるの記』によると、エマーソンの『代表人論』や『英雄論』『詩人論』、ショーぺンハウェルの伝記、吉田松陰伝、それにカーライルの伝記などを読み、みずからも『フランクリンの少壮時代』『リンコルン』(リンカーン)をはじめ、吉田松陰や横井小楠について一文を草してもいる。彼は、それによって先人の少壮時代の生き方に学ぼうとしたのであろう。
 のちに文学者として立った、独歩の文学的素養もまた、彼の少壮時代に得た該博なる読書体験に支えられていることは、いうまでもない。『平家物語』『源平盛衰記』『竹取物語』といった日本文学の古典、井原西鶴の町人物、近松門左衛門の世話物、ゲーテの『ファウスト』、トルストイの『アンナ・カレニナ』、ユゴーの『レ・ミゼラブル』、そしてシェイクスピア、ツルゲーネフの作品など、挙げればきりがない。
 こうして『欺かざるの記』は、明治の一青年の誠実な自己観照の記録でもあるが、他面、独歩にとっての「読書ノート」であり、かつまた交友録でもあった。
 徳冨蘇峰、矢野龍渓、内村鑑三田山花袋、柳田国男といった錚々たる面々と、ときに客気にあふれた激論を交わし、いかにも青年らしい交友を重ねている。そこには、極東の日本の将来を担って立つ気概が横溢していた。
8  私もまた昭和二十年の廃墟のなかに、新生日本列島の建設の槌音を聞きながら、わが少壮時代を懸命に過ごした。
 独歩の『欺かざるの記』に出てくる読書リストは、ある意味で私の青春の読書の道案内ともなった。そして、ザラ紙の「読書ノート」は、たちまちにして最後まで埋めつくされてしまい、その後、やがて「日記」をつけ始めたのも、独歩に影響されてのことであったかもしれない。

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