Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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真実を描く難しさ  

1971.2.21 「随筆 人間革命」「私の履歴書」「つれずれ随想」(池田大作全集…

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2  伝記文学というのは、その人の出生から始まり、臨終にいたるまでの生涯の事実を積み重ねて、一人の人物がこの世に生きた足跡を、読者に強く印象づけることが賢明であるかもしれない。しかし、戸田先生の生涯の事実を調べ、いくらそれを積み重ねたとしても、はたして戸田城聖という人物が鮮明に浮かぶものかどうか、私には疑問に思えたのだ。生涯の事実そのものが誤解に包まれているとしたら、たんなる事実の記述は、やはり誤解のままで終わるに決まっているからである。
 私は、戸田先生の真実の一端を知っているものの一人として、事実の背後に横たわる真実を、いかに表現すべきかを模索した。戸田先生の真実が生むスタイルの設定、これが人知れぬ大問題であったのである。
 戸田先生の生涯をつぶさに辿っていくと、先生の運命というものは、根本のところで日本社会の運命を左右するところにあったことを知った。この二つの運命は、表面ははなはだ離れているように見えるが、じつは深いかかわりあいをもち、ときに激突し、ときに反発し、ときに交流し、流れの方向に影響をあたえつつ、同じ運命の大河の中にあることを知らねばならなかった。
 してみると、戸田城聖の人間関係は、日本社会の運命を背景としたとき、初めて鮮明に蘇ると悟ったのである。
 ゆえに、出生から書き始めることをやめて、彼の生涯の最大の転機である出獄を、敗戦の色濃い、日本の運命の背景をもとに書き始めたのである。
3  中国の“万葉の昇華”の文化祭も、九州の“火の国賛歌”の文化祭も成功裏に終了した。まさしく、人間の祭典であった。私は、民衆文化の夜明けであると信じたい。牧口先生や戸田先生がおられたら、どんなにか喜ばれたであろう、と思わずにはいられなかった。再び学会っ子は、あらゆる広野で戦い、勝ち進んでいるのである。
  師は妙と 法は無限に 花薫る

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