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日蓮大聖人・池田大作

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ブルガリアを導く″獅子″ ジフコフ議長…  

「私の人物観」(池田大作全集第21巻)

前後
4  ブルガリア訪問のあと、私はオーストリア、イタリア、フランス、アメリカ、カナダと回って、七月上旬に帰国した。そして、長い旅泊の余韻もさめきらぬその月の二十一日、ジフコワ女史急逝の報に驚かされたのである。
 ジフコワ女史と私の出会いは、ブルガリアが初めてではない。三月にはメキシコで会談しているし、国営ブルガリア・テレビ総裁の夫君には、日本でお会いしたことがある。女史は、まだ三十九歳の若さで、党政治局員でもあり、東欧では最も政治的地位の高い女性であった。オックスフォード大学に学んだ歴史研究家でもあり、よどみない口調で語るブルガリア文化の現況と未来とは、深い見識に裏打ちされ、明快であった。
 私の脳裏には、ジフコワ女史の一つの言葉が、ありありと蘇った。私がブルガリアの文化政策を担う女史の労をねぎらつたところ、女史は毅然とした口調でこう言ったのである。
 「重い立場にいる人は、重い責任をもって働かないといけません。それで悲劇が起きることがあっても、覚悟のうえで、やむをえません」――。
5  私は、ジフコフ議長にお会いした翌日、文化大臣としてのジフコワ女史に招待されて、建国千三百年を祝う「文化の日」の前夜祭に、ともに席を並べて出席したことを懐かしく思い出す。郊外の小高い丘の上に、多くの外国の賓客も招かれ、色とりどりの民族衣装を着た少年少女数千名が歌い、舞った。丘をブルガリアの未来の輝く瞳と、澄んだ声とが埋め尽くしていた。その平和そのものの光景を、私は、ジフコワ女史と並んで、魅せられるように見入ったのであった。
 そのとき、「平和の鐘」が一斉に高く、低く鳴り渡った。これらの鐘は、全世界の各国から贈られた鐘なのであった。人類の平和への悲願を生きもののように訴え、祈るがごとき響き。それは、生涯にわたって、私の耳朶を離れないであろう。
 その音色が、耳元を離れないかぎり、明るく穏やかな人柄と、内に秘めた闘志とを分かち合っていたブルガリアの一組の父娘を思い浮かべていくであろう。
 獅子と、平和の鐘と……。
 思いは尽きない。

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