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日蓮大聖人・池田大作

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歴史と人間を求めて行動する 井上精氏  

「私の人物観」(池田大作全集第21巻)

前後
6  井上さんは、中国を、もう十いくたびか訪問されていて、日中間の友好促進に注がれる情熱にも並々ならぬものがある。私との対談の席でもこのことを話題にしたことがあったが、相互理解と信頼の大切さ、とりわけ文化人の良識について襟を正して話されていた。当時は日中関係の微妙な時期だから、中国を訪れたとしても好意的に書くことが大切で、それを裏切るような文化人の姿勢は首肯できない、という指摘であった。
 実際に井上さん自身、信義の厚い付き合い方をされており、過日、中国の作家代表団が周揚氏を団長として十四年ぶりに来日したさいにも、歓迎の責任者として大変にお骨折りされたようである。
7  ――私は一人の文学の徒として、いつでも永遠に触れたところで仕事をしていたい気持でおります。そして永遠を信じ、人間を信じ、人間が造る社会を信じ……。
 往復書簡でこんなふうに詠嘆されている一節にも、印象深い味わいがあった。
 思えば、いつでも永遠に触れたところで仕事をしたい、という井上さんの内なる衝動こそ、その文学者としての魂を導き、引き立ててきた原動力であったのかもしれない。あるいは西域に寄せるひたむきな思慕を解くカギも、私にはここにあると思えた。
 萩の花がぼろぼろと散りきってしまうころ、井上さんは、再び西域をさして流れるように旅に出ておられるはずである。幾多の英雄が通り過ぎた河西の回廊を、今はジープを疾駆させて西へ向かっていることであろう。あるいは鳴沙山の彼方に満天の星を仰ぎつつ、文明の過去を跡づけておられるかもしれない。永遠の鼓動にふれるために、あるいは井上さん自身の内に永遠の鼓動を聴くために――。

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