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日蓮大聖人・池田大作

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日中関係三羽ガラスの一人 孫平化氏  

「私の人物観」(池田大作全集第21巻)

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3  今年(一九七九年)五月、孫氏は、中国各界の代表六百人を乗せた友好の船「明華号」の副団長兼秘書長として、寥承志団長とともに来日した。「明華号」が下関、大阪、名古屋を経て東京の晴海埠頭に入港したその翌日、摩氏、孫氏にお会いした。
 そのときの孫氏の笑顔には、長年の労苦をくぐりぬけた、晴れやかさがあった。寥、孫のお二人と一別以来のことを語り合ってから、私は中国というと少年のころの深い思い出を語らずにはいられなかった。それは、戦死した長兄・喜一のことである。兄は中国大陸へ出征した。一度は無事に帰還し、そのとき、小学生の私に戦場の悲惨な状況を諭すように語ってくれたことがある。
 「日本軍はひどすぎるよ。あれでは中国の人があまりにも可哀相だ」と。
 大好きだった長兄のこの言葉は、今も脳裏に刻み込まれて消えない。私は、いつの日かその償いをしなければならないとの思いを密かに心にいだくようになっていた。昭和四十三年に提案して以来の日中関係打開への行動は、一つには、少年時代に聞いた長兄の言葉にその淵源があるといってよい――。
 そんな私の話に耳を傾けておられた孫氏は、今、長兄が生きていればほぼ同じ年齢ということになる。長兄が生きたこの短い生涯のあいだ、孫氏の青春もまた戦争によって開花を封じられたのであった。私は一種の感慨を禁じえなかった。
4  不戦、あるいは平和――。海陸を隔て、そして思想の立脚地は異なる者同士であっても、互いの心の底に揺るぎない友情を包むことができるとすれば、それは信義の積み重ねを共有することによってであろう。
 そして、私は、孫氏との幾夜を重ねても尽きぬ率直な語り合いが、それを可能にしたのであろうと確信する。心からお世話になった孫氏のますますのご健康とご活躍を祈る日々である。

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