Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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東洋商業の二人の先生  

「私の人物観」(池田大作全集第21巻)

前後
4  その一人は、珠算の先生である。東洋商業は、昔から珠算で令名を馳せていたといってよい。この先生は、いつもカーキ色の洋服を着ておられた。顔色は青白く、眉は太く、額は秀でていた。目はまことに鋭く、光り輝いていた。見るからに、秀才そうで、頭の回転が早かった。髪もやや長めにしていて、全体的に冷厳なところが、いかにも珠算の大家か達人という感じを与えていた。年は三十代後半と見えた。
 この先生は、私にとってはまことに驚異的な存在であった。それというのは、先生が問題を読み上げると、何億、何千万という、私には桁違いの数字が、よく通る声にのって流れてきたからである。
 私は、ソロバンが全く不得手である。待ったなしの読み上げ算には、完全にまいってしまった。
 私は、学校を間違えたと悩んだ。そんな苦しいだけのような珠算の授業ではあったが、いつも先生の態度には、畏敬の念をいだかずにはいられなかったのである。
 先生は、貧しい生徒たちに向かって、叱咤するように語ってくれた――「これからは、経済の時代だ。この学校では経済を徹底して教えたい。諸君、いまこそ勉強したまえ。力をつけてくれたまえ」と、まことに、勤労学徒に対する前途をば、切り開いてくれる天の声であった。
5  なかには、ただ義務的に黒板に向かい、授業が終わればそそくさと帰ってしまう先生もいたようだ。
 が、もう一人――英語の先生は、毎回の授業がまさに全力投球であった。「これからは語学の時代である。就中、英語が常識となる時代がくる。諸君はアメリカにも、ヨーロッパにも行きたまえ。否、行かねばならない。これからの青年は世界に目を向け、世界に雄飛するのだ。いまこそ自分は、全魂を打ち込んで諸君を鍛えてあげる。諸君も遠慮なく私にぶつかってきてくれたまえ」と。
 よれよれの背広――小柄な風采のあがらぬ先生であった。が、教え方はまことに上手であった。声も大きく、すさまじいばかりの迫力であった。英語の授業はじつに楽しかったといってよい。
 いま私は、多くの青年と語り合うたびに、このお二人の先生のことが蘇ってくる。お名前は失念してしまったが、あの貧しき学生たちを思ってくれた、冷厳な叫びの先生と情熱たぎる先生、このお二人を忘れることはできない。
 授業の合い問、私は、手づくりの、ザラ紙ノートに、先生から受けた新鮮な印象、教室の光景などを、よくそのまましるしたものである。三、四十枚ほど書きためたであろうか。気に入った詩句が多く、懐かしいわが青春の足跡として、そのノートを大切に保管していたが、惜しいことに幾度かの引っ越しで紛失してしまった。
 晴れて卒業の日、多くの先生方は、心から祝福してくださった。辛くとも充実した青春の一断面の日々であった。夜学生でなければ味わえぬ青春を知った喜びも、私には幸いであったと思っている昨今である。

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