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日蓮大聖人・池田大作

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前米国務長官 キッシンジャー博士  

「私の人物観」(池田大作全集第21巻)

前後
3  話の途中、書類が差し入れられた。キッシンジャー長官は、それに素早く目を通して、係官に返した。それから、電話が一本入った。通常、このような会見中に、電話には応じないそうだが、とのときは、なにか特別に重要な問題であったようだ。長官は、手短に指示を与えて、電話を切った。
 過去、現在、未来へと向かう歴史の流れと、刻々と変化してやまない現実の事象との交差するところに立って、絶えず緊張していなければならない日々であったであろう。一つの判断をし決定を下す場合、限られた時間という要素が大きくのしかかってくる。時間的な制限のない余裕のある学者としての研究生活とは違って、二十世紀の大国アメリカの国務長官として、その職務を遂行していくには、言いあらわし難い辛労があったことであろう。世界政治の重要なポイントを握る立場にあって、まさに神経を研ぎすまし、責任の重圧を双肩に担って全力投球している姿が、ひしひしと感じられたのである。
4  会談は午後二時半から三時過ぎまでの小半時であった。私は、国務省の建物をあとに、再び小雪の舞うワシントンの町に出た。
 思っていたとおりの人物であった。自らを仕事と責任の極限状態にまで追い込み、そのなかで血路を開いていくといったタイプの人である。そして、有能で、間口も広く、チャンネルの多い人物という感じも受けた。
 この日、ワシントンに駐在する各社の日本人記者に、会談内容を熱心に聞かれた。しかし、私は政治家ではないし、多くを語らなかった。いや、語ることができなかった。それが、長官との信義上の約束だったからである。ただ、私は私なりに、世界平和に取り組むべき姿勢というものを長官に申し上げ、言うべきことは言った、とだけは明言しておいてよいだろう。
 前年末からとの年にかけて、世界の火薬庫・中東が、風雲急を告げていた。第五次中東戦争の危機がいわれ、米国の軍事介入の可能性さえ取りざたされていた。キッシンジャー長官は″戦争か、平和か″の酷烈な心境にあったにちがいない。私と長官との出会いは、まさにそういう歴史上の一時点において行われたのである。
 長官は、その翌日に、中東へ飛んで、和平工作に当たっている。
 キッシンジャー博士が、私たちの時代にいかなる影響を与えたかは、もう少し歴史の経過を必要とするのであろうか。二十世紀の諸国家が核戦争の破滅から回避できる大原則を探し求めている博士の、いよいよのご活躍を期待したい。

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