Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

美術史家 ルネ・ユイグ氏  

「私の人物観」(池田大作全集第21巻)

前後
4  この日の対談の前半において、氏はこう述べている。すると氏が″目に見えるもの″の向こう側に見たものが、おぼろげながら浮かんでくる。
 それは、すでに広く知られている氏の思想家としての横顔を伝えるものである。氏は哲学および心理学にも通じ、作品に塗り込められた芸術家の魂をえぐりだす深層心理学的な手法において、鋭い。それは同時に、人間および宇宙の本源といった問題にも、必然的に直面することになるのである。
 私は、氏の言う″根源的なるもの″に迫ったものとそ仏法であることを語ったのだった。
 氏にワインを勧めた。近ごろ酒は絶っているが、きょうばかりは、と言いながら、氏は、グラスに手を差しのばしておられた。ふとグラスから手を離し、例の挙手をして氏は言った。
 「第三の道です。第三の解決法を探る以外にない。資本主義、共産主義の根底にエスプリをおかねばならない。これこそ第三の道です」
 私は、両手を広げて応えた。「大賛成です」。
 エスプリをあらゆる物の根底に据えよ、とは、この対談で、氏が繰り返し強調したことであった。氏は「人間」と「宇宙」という永遠に対置されるもののあいだに立って、両者を調和せしめ、両者のあいだに流れ通う生命のダイナミズムに人間をふれさせるもの――それが″第三の道″としての芸術であるとしている。それを現実世界の問題にまで押し広めて語ったのである。
5  ″エスプリのための闘い″と約束したユイグ氏との往復書簡は、それから現在に至るまで、営々としてつづいている。コレージュ・ド・フランスの教授職は退官されたようだが、アカデミー・フランセーズ会員として、幅広く執筆や古美術の保存などの活動に従事し、その合い間を縫って回答を寄せてくれる。その文言にふれると、親しげに右手をあげて氏が歩み寄ってくるような思いがする。
 ″目に見えるもの″からエスプリの深層へ――すなわち、具象より抽象へ、と私たちは、対話を描き広げているわけである。ユイグ氏は鋭敏多彩な回答のパレットを広げてみせてくれる。人間精神の危機を回避するための意匠を、カンバスにどう描き出せるか――。文字どおり、ユイグ氏と手をたずさえての、ひと戦さである。

1
4