Nichiren・Ikeda
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土曜夜店の外人
「私の人物観」(池田大作全集第21巻)
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3 人びとのそういう心理状態ゃ、私が幾分かの恐怖感をその外人にいだいたのは、時勢によってであった。昭和十二年のこの夏、日中戦争が勃発している。皇国の臣民とか、神州不滅とかの思想が、盛んに鼓吹されていた。日本人に生まれでよかった、外国人でなくて幸せだ、というような感情は、私自身のなかにも強く植えつけられていた。人間は、とりわけ子供は、時代の外には逃げられないものである。私は、このとき九歳だった。大衆の心は、時の流れに対して感光板のように敏感である。
私は、誰か買う人はいるだろうか、とかなり長い時間、その場に立っていた。
人びとは、ただ氷のような目をして通り過ぎる。にらみつけたり、嫌悪の感情をあらわにする人もいる。ただの冷やかし半分とは違う剣呑な空気さえ漂っていた。ところが外人は、にこにこと笑顔をつくりながら「ワタシ、ニッポン、ダイスキデス」と繰り返すのだった。
しばらくして、酔っぱらいが三人ほど、千鳥足で、なにやらからみはじめた。外人は、さすがに当惑顔で、首を盛んに振っている。やにわに一人が、店先の品物を手で払った。路上にカミソリは散乱し、乱暴者らは逃げるように立ち去った。私は、心を張りつめて見ていた。
外人は黙って拾い集めると、再び道行く人に呼びかけるのだった。私は、たまらない気持ちにかられた。電球のむきだしの光で、水晶のような外人の瞳がきらきらしていたが、その笑顔の底には、やはり一抹の寂しさがあったように思い起こされるのである。
その夏、何度か蒲田駅前の夜店に行くたびに、同じ外人を見かけた。そのとき、きまって売れない情景を見、「ワタシ、ニッポン、ダイスキデス」と言うのを聞いた。私は、なぜかこの外人に強く引きつけられた。毛の色が違ったって、同じ人間ではないか、なぜ皆、あんなに意地悪なのだろう――そんな口惜しいような同情心がつのっていった。そして、外人というものに対する観念の変化が、心のなかに芽生えたように思うのである。
4 戦火は、またたくまに中国全土に燃え広がり、国を挙げて果てしない泥沼に突っ込んでいった。それとともに、夜店の灯も、いつのまにか消えてしまった。
あの外人は、どこへ行ってしまったのだろう――私は時折、その寂しげな笑い顔を思い出すことがあった。子供心に、スパイの疑いで捕まり、いじめられているのではないかと思つたりした。戦時下の社会は、外人にとっても住みにくくなっていったようだ。軍国主義の高揚するなかで、そんな外人が夜店を許されたこと自体、今思えば不可解である。昭和十二年の当時は、まだ外国人に幾分か寛大さが残っていたころであったかもしれない。
近ごろ、さまざまな国の人びとと、交流する機会が多い。そんなときに、ふと、あの夜店の外人を思い起こすことがある。考えてみれば、あのときにいだいた「同じ人間ではないか」という子供ながらの叫び声を、今、自分自身に受けとめているような思いがするのである。
路傍の思い出ではある。しかし、私にとっては簡単に打ち捨てがたい懐かしさがある。私の記憶の届くかぎり、西洋人との初めての出会いであった。そして、冷たい視線のなかで、にこにこと笑顔をつくりながら語りかけていた彼の言葉は、埋み火のようなぬくもりをもって心に響くのである。
「ワタシ、ニッポン、ダイスキデス」――。