Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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静かに燃える目 ジョン・ガンサー氏  

「私の人物観」(池田大作全集第21巻)

前後
4  対談は一時間で終わった。当初二時間を予定していたのだが、ガンサー氏のなにかの都合で急に短縮したものである。私は、この一種異風のジャーナリストともっと語り合いたかったし、彼も「もっと質問したいと思いますが」と、別れぎわに初めて目もとがゆるみ、名残惜しげであった。対談の一部始終は「中央公論」に掲載されている。「アメリカで」とは約したものの、それから四年ほどでガンサー氏は不帰の客と、なってしまった。
 なんといっても、やはり人物ではあった。鉄のような信念で事実を掴み、えぐり、料理するという迫力を内にたたえた顔つきである。地味で、饒舌でなく、意気揚々とせず、世界的なジャーナリストぶりはむしろ感じさせなかった。しかし約束を破りでもしたらテコでも信用しない、あるいは暴漢の十人ぐらいでも動じないというような剛直な芯が一本貫いていた。質問の出し方には、さすがなものがあった。じっくり一つ一つを究明しながら積み重ねていくタイプで、派手ではないが、いささかも疎漏がない。獲物を見つけると、遠回りしつつも布石を積み、ついに捕捉する。
5  そんなガンサー氏のすべてが、目に凝結していた。暖衣飽食のみを人生の目途におくような人間には、あの目はない。真実をえぐりだすことに自分を賭けてきた者の目が、彼の全身に張り巡らされていたのである。
 目には一個の人間のすべての表現がある、と私は考えている。そして、これも私自身の今日までの実感だが、故周恩来首相をはじめ、コスイギン首相、キッシンジャー氏など、いずれも相手の目を正視して、腹の底まで見透かすがごとく、決して視線をそらすことはなかった。ガンサー氏もまた、正視が身についた人であった。

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