Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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教育は親の生き方の反映である  

「婦人抄」「創造家族」「生活の花束」(池田大作全集第20巻)

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3  おのずと区別がある父親と母親の役割
 私には、若い父親、若い母親の友人たちがたくさんいる。私は、彼らに、子をもつ親の先輩として、気がついたことは、なるべく助言をするようにと心がけている。小さな子供たちを連れてやってきたとき、私はその子供に、決まってこのように尋ねることにしている。
 それは「パパとママはどちらがやさしいか」という問いである。あるいは逆に「どちらがこわいか」という問いになる場合もある。可愛らしい少年少女たちの答えが、「ママのほうが厳しくて、パパのほうがやさしい」というときには、私は「けっこう、けっこう」と思う。
 反対に、子供にとって父親が厳しく、母親がやさしく映っている場合は、少し心配しないではいられない。
 というのは、母親が子供をいくら叱ってもそんなにいじける子はいないと思うのであるが、父親があまりに厳しい態度をとったときには、応々にして子供が萎縮してしまうケースがみられるからである。やはり、男性の大人が厳格であるのと、女性の大人が厳しくするのとでは、おのずとそこには差が出てくるにちがいない。
 ここに私自身の原体験がある。長男が生まれ、いくつになった時であろうか、確かなことは覚えていないが、ともかくいたずら盛りのころである。めったなことでは、私は子供を叱ることはなかったが、一度、ひどくおこったことがある。それは、私が大切にしていたレコードを、もの心つかないとはいえ、ひっぱりだしてメチャメチャにしてしまったからである。
 このことが、私の恩師戸田前会長に知れ、今度は反対に、私がひどく叱られてしまった。恩師が言うには、父親は子供を叱ってはならない、母親はいくら叱ってもいいが……ということであった。それからというもの、長男は今、大学生になっているが、私は、叱ったことはない。歳月を経て、三人の子の親として、また、数多くの親と子の姿を見てきた結果、この恩師の指摘には深い洞察と知恵があるように思う。父親と母親の役割には、おのずと区別があるのであろう。
 恩師といえば、寒くなると、古びた厚司を、いつも着していた。北海道独特の衣類で、半纒に似ている。青雲の志を抱いて上京する折、恩師の母親は、寝ずに針の手を休めなかったようだ。上京の行李には、その母の織った厚司が大切にしまわれていた。かなり年代ものになっても、恩師はこの厚司を手放そうとはしなかった。それは母の愛情の印であり、母の温かいぬくもりを伝える貴重な品だったからであろう。
 こうしたことを知っていたこともあり、私は初めて恩師とともに、恩師が育った北海道の厚田村を訪ねたさい、一編の詩をつくり、次のように記した。
 「痛まし針の白髪に 不正に勝てとアツシ織る 母の祈りに鳳雛も 虹を求めて天子舞」と──。現在に、こうした母親の存在が少なくなったことは、悲しい。
4  教育の主役はあくまで親である
 昨年の四月、北海道札幌市郊外の羊ケ丘に創価幼稚園を開園した。私も創立者として赴き、入園式に参加し、送迎のバスに一緒に乗ったりしたものだ。
 そして昨秋、半年ぶりに同園を訪れ、小さな友人たちと再会したが、明るく、伸びやかに成長している姿がうれしかった。入園式の日に、子供たちとともに植えた「王子桜」「王女桜」も北風のなかに枝を鳴らしていた。
 幼稚園のモットーは「つよく、ただしく、のびのびと」である。平凡のようであるが、私はこれ以上は望まない。子供たちは“限りない未来造形への可能性を秘めた未完の彫塑”である。どんな人生の実像を彫り上げていくか、それは、各人の生命に芽生えた個性や希望で決まり、各人の意志で育てゆくものだろう。それは自らの力で描き出すべきドラマだ。
 今は、私は、この純白な生命に、いかなる社会の汚濁にも染まらず、強く、明るく、伸びのびとした“人間の芯”を築いておいてあげたいと願うのみである。
 日本に幼稚園ができて百年たつという。戦後、幼稚園の就園率は急上昇し、現在では五歳児で六五パーセント、保育園を含めると九九パーセント近くが、この幼児教育の場に通っているといわれる。
 幼児教育への関心の高まり、婦人の社会進出などの背景もあって、すっかり定着したかたちだが、最近は、受験競争のあおりもあって、その教育内容も混乱してきている。「おゆうぎばかりやらせないで、もっと勉強させて」といった教育ママの圧力も強い。
 また、安全を強調するあまり、あれもいけません、これもいけません、といった規制が多く、子供の自由な芽を抑え、「従順だが、ひ弱な子供になる」といった反省が聞かれるようになった。文部省でも、従来の「ダメ」式の教育から、ときにはケンカをしても、伸びのびと元気な子供を──といった方向への転換を検討しているという。しかし教育の主役はあくまで親である。
 ルソーは世の母親たちに向かって言う。「子どもは乳房と同じように母親の心づかいを必要としているのではないか」(『エミール』今野一雄訳、岩波文庫)と。そして「母親がすすんで子どもを自分で育てることになれば、風儀はひとりでに改まり、自然の感情がすべての人の心によみがえってくる」(前出)とも。いろいろな教育機関や施設に頼るあまり、母自らが主役であることを忘れてはならないだろう。大人の希望や習慣で子供をしばりつけるようなことはすまい。
 ルソーの『エミール』は「教育について」という副題が示しているとおり教育論の本であるが、私の共鳴するところが少なくない。
 ルソーは言う。「わたしたちがほんとうに研究しなければならないのは人間の条件の研究である。わたしたちのなかで、人生のよいこと悪いことにもっともよく耐えられる者こそ、もっともよく教育された者だとわたしは考える。だからほんとうの教育とは、教訓をあたえることではなく、訓練させることにある」(前出)。 教訓を与えることではなく、訓練させることにある──というのは含蓄に富んでいる。教訓ならば、どんな親でも、自らの生き方を離れて与えうる。しかし訓練となると、親の生き方の反映でなければ、効果はない。つまり親が人間の条件を追い求めつつ、努力し、懸命に生きゆく姿が、無言の声となって、幼い子の魂の空間に響いていくのであろう。どうやら、私の結論は、子を訓練するに足る親かどうか──忙しい日常の合間に、自問自答してみることが大切であるということに落ち着きそうだ。

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