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日蓮大聖人・池田大作

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教育の場は身近にある  

「婦人抄」「創造家族」「生活の花束」(池田大作全集第20巻)

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5  大自然も重要な教育の場
 次に身近な教育の場といえば、なんといっても大自然そのものである。北風とたわむれる少年の鋭敏な皮膚は、日一日と高くなる日差しのなかで、自然の律動を感じとっていくものだ。湖水のように澄みきった少女の瞳は、冬の立ち枯れた雑草の間に、初々しい顔をのぞかせる若草の芽に、生きとし生けるもののたくましい胎動を見逃さないであろう。
 私が少年時代を過ごした羽田近辺は、以前は豊かな自然が広がっていた。そこを舞台に織りなされる四季変転のリズムに、私は小さな胸をとどろかせながら育った。光る海と紺碧の空、緑の萌える田園は、かけがえのない友であった。地方出身の都会の人が描くあのふるさとのイメージである。
 寒風にのせる凧あげ。早春の陽光を浴びつつの野原での駆けっこ。夏の照りかえる日差しのなかでのセミとり。紅葉したモミジの下での虫とのたわむれ……。幼き日の思い出には、必ず自然が背景にあって鮮明な色彩感を与えている。私にとって自然は、なにものにもかえがたい“教師”の役割を果たしてくれたような気がする。
 フランスの思想家ボルテールの言だが、まさに「自然は人間の施す教育以上の影響力をそのうちにいだいている」のである。大自然の美を感受する心、生あるものへの親しみの感情、荘厳な天地のドラマへの畏敬の念、人間と自然の調和……これらを豊かにはぐくむのも、人生のこの時期が一番であろう。
 情緒、情操の形成といえば、すぐさま音楽や絵画、踊りなど稽古ごとを引き合いに出す人もいるだろうが、生きた自然との生命の交流はたんなる技術的な教育の枠をはるかに超えていると、私はひそかに確信している。
 より豊潤な情緒の源泉は、四季のドラマを演ずる大宇宙そのもののなかに息づいている。子供たちは、もともと動物や植物が大好きで、山や川へ本然的な情愛を覚えている。そうした生来の心が、セミやカブトムシの昆虫や桜や柿との接触を通じて、見事な情操として花開いていくのである。
 ある少年は、草の葉のそよぎに、妙なる音律を聞くだろう。富士と桜に魅せられた少女の胸には、その美を表現する詩と絵画への眼が養われることだろう。夜空を飾る星の輝きを仰ぎみる子供の心には、宇宙の限りない奥深さと美への憧憬が大いなる夢をもって広がっていこう。
 子供たちは自然との無邪気なたわむれをとおして、自らの情感を豊かにしつつ、なによりも生きとし生けるものの真実の姿を、その生命に焼き付け、生命の鼓動を尊んでいくことであろう。
 身近な一本の草も、大地と陽光と水滴に連なり、一匹の小動物も雑草と空気と無数の微生物がささえている。山々に降る雪は、春を待って川をくだり、平野を緑にうるおし、大海に流れ込む。蒸発した海水は夏空にまきおこる入道雲に変化し、ふたたび大地へ雨となって降る。
 そしてまた、地球の自転と公転には、あのまばゆいばかりの太陽と月と星々とが互いに関連している事実を、大自然のふところで初めて実感するであろう。
6  人間らしさをはぐくむ教育は父母の役割
 少年は大自然の恩恵に感謝しつつ、万物をはぐくむ宇宙生命への畏敬の念を深くし、天地に律動する“生命の糸”を見いだした喜びにひたると思う。文明は、これら少年の心に宿る貴重なものを、まったく無視しつつ今日の危機を迎えるに至ったといってよい。自然は人間にとって征服の対象であり、利用すべきものであるという不遜な価値観を転換させてくれるものも大自然の深いかいなである。
 残念なことに、大人たちのつくった現代の都会生活は、少年から大宇宙に憩い、自然と遊ぶという生得の権利を、いよいよ決定的に奪おうとしているようだ。すでに大都会では、自然は破壊しつくされ、子供たちの日々の生活は大地から離れてしまった感がある。
 しかし大地を離れた教育は、真に人間らしさをはぐくみはしない。私は、子供たちに物を大切にする心、生命の尊厳にうなずく心を期待するならば、まずなによりも雄大な自然美に感動し、宇宙の律動を教えてあげるような優しくも厳粛な父であり、母であってほしいと願わずにはおれないのである。
 都会の片すみでひっそりと咲く雑草に心をとめ、強風でスモッグが吹きはらわれたひとときの夜空に夢を語り、窓辺にまぎれこんだ小動物にあいさつを交わすような美しい母の心があれば、どんな都会に住もうとも、幼子を母なる自然へとおもむかせると思う。
 休日のピクニックもよい。公園での水遊びもよい。植物の栽培、小動物の飼育でもよいだろう。工夫をこらして、子供たちに自然に親しむ場を与えれば、それがなによりの身近な教育の場となろう。 生あるものとともに生きる文明のあり方──その苦難の道を開くところにしか、もはや人類が生きつづけ、輝く未来創造を可能にする方途はない。私たちは、宇宙生命の妙なる鼓動に触れ、自然との“応対”を身につけた若者の成育を待って、自然略奪と物質浪費の文明からたもとを分かち、新たな大自然との共存の道を探りたいと思う。
 種々思いつくままに書き綴ってきたが、幼子をもつ父と母の視点の置き方によっては、いくらでも身近に貴重な教育の場があるものだ。
 子供たちの瞳がいつも希望に満ちて輝きつづける世界のために、次代のために、父と母は重要な役割を担っているのである。

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