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日蓮大聖人・池田大作

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私が会った忘れ得ぬ女性  

「婦人抄」「創造家族」「生活の花束」(池田大作全集第20巻)

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4  レジスタンス闘士の妻
 花の都パリといわれるが、春のこの古都は、緑萌え、花が咲き、街路樹のマロニエの枝々には鮮やかな葉が生い茂り、ヨーロッパの風情を旅人に感じさせてくれる。
 私は、幾度となくパリを訪れたが、歴史と文化の堆積した石畳を歩くとき、この都会に漂う「詩と絵と歌」を呼吸せずにはいられない。パリは、世界の都市のなかでも、好きな町の一つである。
 パリ郊外のソー市は、静かな住宅地域で、心落ち着くところで、この地を、私は、訪ねることがある。現在は、広大な緑と水の公園になって市民の憩いのオアシスになっているかつての城館など、昔が今に生かされ、個性的な住宅街とよく調和し、美しさがあふれている。冬の到来に、並木の木々は身を縮め、人々がコートの襟を立てて、コツコツと石の道を散策している姿が目に浮かぶ。
 私は、数年前、ここで、一人のフランス婦人に会った。白髪で、眼鏡の奥には知的な光が輝き、もう七十歳を越しておられるようであるが、声は若々しく、元気濶達な方である。ある青年が「今のまま溌剌さをつづけて、百歳を越え、二十一世紀までも長生きしてください」と挨拶したところ、この婦人はきわめて心外といったふうに「私は二百歳まで生きるんですからね……」と返事したので、ビックリするとともに、その意気軒昂な姿に大いに安心した、と述懐していた。
 この方は、名をフロランス・ウストン・ブラウンさんといい、フランス社会ではいわゆる名門と呼ばれる外交官の家に生まれ、若き日、パリ大学ソルボンヌ校で哲学を学んだ才媛。今も、フランス語保存委員会のメンバーであり、興に乗ると夜を徹して明け方まで文学作品を読み耽り、感動のあまり、裸足で庭に飛び出し、空を仰ぎ、暁闇のなかの星と一人で語りあうなど、人生の年輪を刻み、いよいよ知識欲盛んな“パリジェンヌ”である。
 ご主人は、新聞の編集長をされるなど言論界でご健筆をふるっておられたそうであるが、第二次世界大戦のさい、ナチス・ドイツ軍の占領下にあったフランスで対独レジスタンス運動を果敢につづけ、不幸にもゲシュタポに捕らえられ、虐殺された。その殉難の抵抗者としてご主人の名は、冬季オリンピックが開催されたことのあるグルノーブルの街路名に残されているという。
 一般的にフランス人は、一人ひとりの個性が強いというか自我が確立しているというのか、なかなか団体行動とか組織行動をとることは苦手であり、それが長所でもあり、短所にもなるといえよう。
 しかし、この個性の強さは、いったん個々の抵抗運動などになると、フランスのレジスタンスほど恐ろしいものはない、という定説があるほど徹底したものになる。レジスタンスという言葉自体、フランス語が日本語化したものである。ウストンさんのご主人も、世界に冠たるフランス・レジスタンスの英雄であったのであろう。
 レジスタンスの闘士として銃殺された犠牲者は三万人に達し、ドイツの収容所へ送られた十五万のうち、戦後、生きて帰国した人は四万人に満たない。初めは組織らしいものもなにもなく出発した抵抗運動に、自発的に自らの決断で参加することは勇気のいることであったにちがいない。斬死、銃殺刑、強制収容所の死などが待ちうける危険のなか、「明日の母国の平和」をめざし、戦い死んでいった勇士たちの純粋な行為は輝くが、その流された尊い血と深い傷跡は、一朝一夕に癒えるものではない。とくに、犠牲者の肉親にあっては、傷跡はいよいよ鮮やかになり、歳月の経過もなかなかその痕跡をぬぐいさってはくれない。
 ウストン夫人も最愛の夫を戦争という悲劇のなかに失った殉難者の一人であり、悲しみと痛みに打ちひしがれた日々があったのであろう。が、自由とヒューマニズム、そして平和を求めて倒れたご主人の遺志を継ぐかのように「老いてますます元気」といった姿勢で、学び、働き、社会活動をしているようだ。「夫は戦争が二度と起こらないよう、自分は犠牲になる、と言っていました。私は夫が最後まで叫びつづけた真の平和を確立するため少しでも役立つ生涯を送っていきたい」と──。
 戦後は、サンジェルマン・デ・プレ付近で画廊を経営し、なにか独創的な企画はないものかと考え、芭蕉の俳句を題材にして十二人のパリ在住日本人画家に制作を依頼するなど、日本への関心も深い。また、古代キリスト教には東洋の仏教の影響が深く刻印されているとして西伝仏教に興味をいだき、研究をしておられるようだ。拙著・小説『人間革命』のフランス語版の翻訳にあたっても、全魂を込めて当たってくださっており、昭和四十九年秋も第八巻の手書きの原稿を送ってきてくださった。
 日本へも三度ほど来ているが、いつも若々しく快活なその姿からは「生涯学習」という言葉そのものを実践しているようで、気持ちがよい。思索に疲れたときなどは、パリのセーヌ河畔の散歩道を、女子学生のように歩いておられるのではないか、と思わせてくれる。長寿を祈りたい。
5  忘れ得ぬ女性ということで書いてきたところ、外国の女性像ばかりを書いてしまった。別に意図があったわけではない。
 何度も繰り返すようになるが、市井の一庶民が自己を充実させつつ生きる姿ほど、人の胸を真に打つものはない。私は無数の日本の女性にも、そうした姿を見てきている。他人のために、社会のために働く姿は、よし平凡であろうが、あるべき未来を呼びあう前奏となるものだ。
 私自身、平凡な海苔屋の息子であった。今も、平凡な光の下にあることを欲している。自分なりに常に精いっぱいに生き、生命を燃焼させて悔いのない道を歩むことが、平凡のなかに美しい輝きを放つことと信じたい。女性よ美しくあれ! という言葉を、私はそういう意味で使いたい。

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