Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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子供に託して  

「婦人抄」「創造家族」「生活の花束」(池田大作全集第20巻)

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5  科学進化の裏に追いやられた人間の尊厳
 戦後二十八年、私たちの国は戦争を避けて通ることができました。戦争の悲惨さは日に日に人びとの記憶から遠ざかりつつあります。幸運なことといわなければなりませんが、二十八年たった今、手に余る多くの危機的問題に直面しております。戦争のような誰の目にも悪と映るものとは異なり、それはじつに目立たぬところで緩慢に隠微に人類の生存を脅かしてきていたのです。気がついた昨今、人びとはもはや手遅れではないかとさえ思いはじめています。
 世界的な不気味なインフレの進行は、これまでの経済理論では手に余る問題です。また地球上の水も空気もいつのまにか汚されてしまって、毒のある空気を吸い、毒のある野菜と穀類と肉を日々口に入れなければならない環境汚染の問題、さらに年々恐るべき勢いで増加する地球上の人口に比例して、有限な地球面積で生産される食糧のやがてくるであろう限界をどうしたらよいかという食糧問題など深刻になってきました。
 また、最近はエネルギー資源のやがてくるであろう枯渇状態を予想して、まず石油資源の確保に血眼にならざるをえなくなりました。核爆発の恐怖よりもさらに大きな恐怖がいくつも地球上を覆いはじめました。
 まことに問題は山積していて、どれ一つとっても、現在の人間の知恵では早急に解決できそうもない問題ばかりです。現実にこのような時代が、こんなに早くくるものとは誰も予想していなかったことで、地球のGNPの増大は槿花一朝の夢となりかねないところまできてしまいました。しかも、こうした時代を迎えて、人間はなお生きなければなりません。絶望感は人びとの心に芽生えて、それがいつか終末思想に育ってきました。
 もともと終末思想というものは早くからありましたが、近来の山積した問題から終末思想が起きることはまったく予想になかったことです。地球は厖大だが有限な一天体にすぎず、宇宙の一天体である以上、成住壊空の四劫を離れることはできないというのが仏法三千年前からの宇宙観でした。それによりますと、今は住劫にあるが、いずれ破壊し空の状態に帰する時もくるだろう。しかし、それは気の遠くなるような先の先の話ではあるが、終末がないというわけにはいかない。そして空の状態からまた成劫に入る。つまり永遠に四劫を繰り返していくのが宇宙の実態である。これは人間の知恵や力をはるかに超えたところのもので、宇宙自体の運行のしからしむところである――。現代の宇宙を科学する学説も、ややこれに近いところまで歩み寄ってきました。
 しかし、このような宇宙観よりする終末思想と近年生じた終末思想とは、明確に区別する必要があると私は思っております。つまり、前者は人間にとってまったくの天災といってよいが、後者の終末思想は人災から起きたところのものであるからです。地球は遠い将来いつか滅びる時がくるでしょうが、当分はまず安泰です。今のところ、きわめて陽気な終末思想といってすましていられますが、発達した科学社会のもたらした数々の公害に侵食されはじめた現代は、人類の尻に火がついたような痛みをともない、目下なすべき得策のないところから、一挙に終末思想に走ろうとしています。
6  「生命の火」を愛せ、ママを大切にせよ
 わが三人の子も、このような重苦しい時代に生まれあわせて、私よりも先まで生きつづけなければなりません。病苦と戦争はどうやら免れたと思っていたところへ、とんでもない伏敵が現れてきたわけです。生きる以上、この手強い伏敵を避けて通ることは許されません。ではどうしたらよいのか、これは人間のこれまでの考え方に、根本的な変革がどうしても必要になってきたと、私は考えるのです。さもないかぎり、事態の悪化は底知れぬことになると憂慮するものです。
 まず、現在のもろもろの公害というものを、まるで天災のように不可避などうしようもないものと思いなしているこれまでの考え方に、すべての錯誤の原点があるように思われます。インフレといっても、所詮は人災です。経済機構を操る浅はかな人間のもたらしたものです。環境汚染にしろ、資源の乱開発にしろ、明らかに天災ではなく人災です。戦争もまた人災の極点に達したところのものです。現在の平和は核の抑止力によるというより、さんざん懲りた人びとの反戦平和の思想が戦争をどうやら抑えるところまできたというべきでしょう。つまり、人災は人がその気になれば、どんなに不可能にみえようとも、所詮防ぐことのできるものだと私は考えたいのです。その気が問題なだけです。それを政治技術や経済技術や科学技術の小手先だけで解決しようとする旧来の考え方だけでは、おそらく事態の抜本的な解決は不可能であるに決まっています。
 近代科学の驚異すべき発達をもたらしたものは、たしかに人間の知恵でありますが、この知恵には大きな欠落があったことに気がつかなかったのです。科学文明の華やかな栄光に眼を奪われて、人間の生命の尊厳を見落としてしまい、そして、それが現代人の習性となって、なんの疑いもいだかず今日に至ってしまったのです。その結果、見落とし、無視してきたところのものが、人災というさまざまな収拾のつかない公害を生んでしまったのです。
 事態はあらゆるものについて、発想を変えなければならぬところに迫っています。習性となっているこれまでの考え方を、人間たることの原点、つまり生命の尊厳に発想の立脚点をおかないかぎり、人災による終末思想に人類は流されていくにちがいないでしょう。まったく新しい発想、生命の尊厳にもとづく法理だけが、今、人類の宿命を転換する可能性をもって、今世紀の一隅で現に光明を点滅していることを私は知るのです。
 きたるべき世紀の人類のためにも、その一員であるわが子のためにも、この光明の火を絶やすことなく、燃えあがらせることに、今の私はこの生涯を賭しての生きがいを見いだしているのです。
 最後に彼らにもやがて恋人ができ、結婚するでしょう、その時に私はただ一言いいたいのです。「パパのことはいい。ママだけは大切にしてあげてくださいよ」と。

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