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日蓮大聖人・池田大作

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注解  

「敦煌の光彩」常書鴻(池田大作全集第17巻)

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13  〈や行〉
 柳宗悦
 一八八九年―一九六一年)民芸研究家、哲学者。東京に生まれ、東大卒。一九一〇年に創刊された雑誌「白樺」に加わり、のち民芸運動を提唱、日本民芸館を設立。
 山本健吉
 (一九〇七年―八八年)文芸評論家。本名・石橋貞吉。長崎市に生まれ、慶大卒。折口信夫に学び、古典から現代文学に及ぶ幅広い評論活動を行った。文化勲章受章。
 ユイグ
 (一九〇六年―九七年)フランスの美術史家、批評家。フランス北部のアラス生まれ。パリ大学などで学んだ。第二次大戦中、ルーブル美術館の絵画部長として、ナチの略奪から膨大な美術品を守りぬいた。戦後はコレージュ・ド・フランス教授をつとめたほか、アカデミー・フランセーズ会員として多方面で活躍。元フランス美術館協会会長。著者との往復書簡も含めての対談集『闇は暁を求めて』は、本全集第5巻に収録。
 維摩詰
 鳩摩羅什訳「維摩詰所説経」などに登場する中心人物。同経によると無量の諸仏を供養し、大乗仏教の奥義に通達し、仏法流布に貢献した。非常に雄弁で、巧みな方便でよく衆生を教化したといわれる。
 「維摩経変相」
 鳩摩羅什訳「維摩詰所説経」によれば、釈尊在世時の在俗居士・維摩詰(梵名ヴィマラキールティ)は巧みな弁論をもって仏教流布に貢献したという。維摩詰はまた仏弟子を相手に大乗の法理を説き、文殊菩薩との対論に及んだ。敦煌莫高窟では、この経典の内容が変相として好んで描かれ、とくに第二二〇窟(初唐)東壁門口の両側に描かれる「維摩詰変相」は初唐の画家・閻立本の「歴代帝王図」を凌ぐ名画とされる。
 「夕映え」
 雑誌「風景」一九七五年七月号に掲載。
 湯川秀樹
 (一九〇七年―八一年)理論物理学者。東京に生まれ、京大教授。中間子の存在を予言し、素粒子論展開の契機をつくった。日本人で初のノーベル賞受賞者。晩年は核兵器を絶対悪と見なし、パグウォッシュ会議、科学者京都会議などを通じて平和運動にも尽力。文化勲章を受章。
 楡林窟
 甘粛省西部、安西の西南七五キロの踏実河峡谷にある石窟寺院。西方にある敦煌の莫高窟、西千仏洞とともに、敦煌周辺の三大石窟ともいわれる。石窟の形式と現状から判断して初唐に草創され、回鶻・五代・宋・西夏・元・清代まで造営された計四十二窟が現存する。踏実河の東西両側の断崖に開かれ、岸辺には楡の木が群生しているところから「楡林窟」の名があるという。
 陽関
 漢の武帝時代、玉門関の南に設けられた関所。現在の敦煌市から西南約七〇キロに位置する。
 楊貴妃
 (七一九年―五六年)唐の玄宗皇帝の妃。皇帝の寵愛を受けて一族は高位を得たが、七五五年の安禄山の反乱の折、翌年に縊死。白楽天の『長恨歌』は、その経緯をうたっている。
 ヨーロッパ、ソ連の旅
 一九七五年五月十三日から三十日まで、パリ、ロンドン、モスクワなど訪問した。パリでは、マルロー、ユイグ、マルチネ、ペッチェイ氏らと対談、ロンドンでは、病床にあったトインビー博士の関係者を見舞う。モスクワ大学では「東西文化交流の新しい道」と題して講演を行い、名誉博士号を授与された。
 横山大観
 (一八六八年―一九五八年)日本画家。水戸に生まれ、東京美術学校卒。岡倉天心、橋本雅邦に師事。朦朧体といわれる没線描法を試み、墨画にも新境地を開いた。文化勲章を受章。
 与謝蕪村
 (一七一六年―八三年)江戸中期の俳人、画家。摂津の人。幼時から絵画に親しみ、文人画で大成した。かたわら俳諧も学び、感性ゆたかな俳風を創出、のちに芭蕉と並び称される。
 四人組
 中国の文化大革命の時期に権力をふるった江青、張春橋、王洪文、姚文元。後に逮捕され党内外のすべての職を解任された。
14  〈ら行〉
 雷峰塔
 西湖の近くの雷峰山の山頂に建てられていた七層の巨大な塔。塔の夕日に映える姿は見事で「雷峰夕照」は西湖十景の一つだったが、一九二四年に崩壊した。
 ラスキン
 (一九二七年―九四年)ロシアの文学者、翻訳家。モスクワ東洋大学に学び、プログレス出版社に勤める。主として日本語文献を翻訳。一九六六年の原水禁広島大会に来日して以来、しばしば日本を訪れる。井伏鱒二『黒い雨』、井上靖『おろしや国酔夢譚』などロシア語に翻訳。
 蘭州
  中国の西北部、甘粛省の省都。古くから黄河上流の重要な渡河点で、中原の都と西域とを結ぶ交通の要衝だった。唐代、インドに経典を求めた玄奘三蔵も、ここで黄河を渡って西域へと向かった。
 李淵
 (五六六年―六三五年)唐初代の皇帝。初め隋に仕えたが六一七年、煬帝の失政に乗じて挙兵、長安を都として唐を建国した。
 李懐譲の「重修莫高窟仏龕碑」
 莫高窟の第三三二窟(初唐)から出土した「大周李懐譲重修莫高窟仏龕碑」には、次のように記されている。「前秦の建元二年に、沙門の楽僔という人がいた。彼は戒行清らかで、心も恬淡とし、静穏であった。かつて林野に杖ついてこの山にやってきたところ、突然、金色の光が見え、ちょうど千仏がいるようであった」と。なお、この碑は武周聖暦元年(六九八年)李懐譲によって建てられた。
 利休の生涯
 安土桃山時代の茶人・利休は、千宗易(一五二二年―九一年)の号。堺の人で侘茶を完成。織田信長、豊臣秀吉に仕えて厚遇されたが、晩年になって秀吉の怒りに触れ自刃。利休の死の心境を探った小説『本覚坊遺文』は一九八一年、「群像」に連載された後、講談社より刊行された。
 李思訓
 (六五三年―七一八年)唐の画家。皇族の出身、字は建見。唐の高宗のとき江都令となるが、武則天のとき殺害されるのを恐れて官を捨て隠遁した。中宗復位後、宗正卿、益州長史、右武衛大将軍を歴任。彩色華麗な山水画を得意とし、唐朝の第一人者といわれる。とくに金碧青緑山水画は、後世に多大な影響を与えた。
 龍門
 中国の黄河中流、山西、陝西両省の境にあり、汾水が合流する両岸に険しい山岳が対峠して門口をなす。魚類も登れば龍になるという伝説から「登龍門」の言葉が生まれた。
 龍門石窟
 中国の河南省洛陽南郊にある石窟寺院。伊水に臨む岩壁に大小千三百余窟が現存する。北魏・孝文帝が洛陽に遷都(四九四年)以後、直ちに開創され、唐代中期に至る約二百年間、石窟の造営が続けられた。
 梁山泊
 中国の山東省西部、梁山の麓にある沼地。宋代、宋江らが砦を結んだという故事が『水滸伝』に記されてから、一般に豪傑、野心家たちの集合する場所を意味した。
 廖承志
 (一九〇八年―八三年)中国の政治家。革命家であった廖仲愷を父に、何香凝を母として東京で生まれた。若くして中国革命に志し、長征にも参加。戦後は国際友好に尽くし、中日友好協会会長をつとめた。
 リヨン
 フランスの南東部、ローヌ川とソーヌ川の合流点に位置する大都市。古くから商工業都市として栄え、とくに絹織物、繊維工場などで繁栄した。
 李陵
 (?―前七四年)前漢の軍人。匈奴と戦い、敗れ、匈奴の地で二十余年を過ごして病没した。
 ルーブル美術館
 パリのセーヌ右岸、ルーブル宮殿に設置されたフランス国立美術館。多くの名作を収蔵、展示し、世界最大級の美術博物館として知られる。
 ルオー
 (一八七一年―一九五八年)フランスの画家。黒く太い描線や深い精神性をもつ独特の画風を確立した。
 ル・ナン兄弟
 十七世紀に活躍したフランスの兄弟画家。五人兄弟のうち三人が画家で、順にアントアーヌ、ルイ、マチュー。パリに出て一六四八年、三人そろってアカデミー会員となった。宗教画・神話画を描いたが、とくに農民の肖像画などが知られる。
 レーニン
 (一八七〇年―一九二四年)ロシアのマルクス主義者、革命家。学生時代から革命運動に従事、流刑・亡命生活をへて一九一七年ロシア革命に成功。その後、ソビエト政府首班として社会主義建設を指導した。著『何をなすべきか』『唯物論と経験批判論』『国家と革命』など。
 レーピン
 (一八四四年―一九三〇年)ロシアの画家。ペテルブルクの美術アカデミーに学ぶ。「ヴォルガの舟曳き人夫」(一八七三年の作品)によって認められ、ウィーン、イタリア、パリに遊学する。帰国後、外光描写により故郷の農民群像を描いた一連の傑作を残した。
 レニングラード
 モスクワに次ぐロシア第二の大都市。バルト海の東、フィンランド湾奥のネバ河口のデルタ地帯に位置する。ロシア革命以前、サンクトペテルブルクなど様々な名称で呼ばれたが、一九二四年にレーニンの名を冠してレニングラードと改名された。第二次大戦中、九百日に及ぶドイツ軍の包囲戦で約八十万の犠牲者を出した。なお現在は、ソ連邦の崩壊と前後してサンクトペテルブルクの旧都名に復している。
 『レ・ミゼラブル』
 フランスの詩人・小説家ヴィクトル・ユゴー(一八〇二年―八五年)の作品。ひときれのパンを盗んで牢に入れられ、脱走と反抗の罪が加わり、十九年もの牢獄生活を強いられた主人公ジャン・ヴァルジャンの物語。日本では、黒岩涙香の抄訳『噫無情』によって知られ、その後、豊島與志雄の完訳『レ・ミゼラブル』によって広く読まれた。
 ローマ・クラブ
 イタリアの実業家で知識人でもあったアウレリオ・ペッチェイ(一九〇八年―八四年)を中心に「地球の有限性」という共通の問題意識をもつ世界各国の知識人が集まって結成した任意団体。一九六八年にローマで初会合を開いたことから、この名がある。原則として毎年一回ずつ各国持ち回りで大会を開き、東京でも一九七三年に統一テーマ「新しい世界像を求めて」と題し、大会が開催された。
 魯迅
 (一八八一年―一九三六年)中国の文学者、思想家。本名、周樹人。浙江省紹興に生まれ、南京の学校に学んだ後、医学を学ぶために官費留学生として来日。一九〇四年、仙台医学専門学校(現在の東北大学医学部)に入学したが、その翌年幻灯で日本兵に処刑される中国人の姿を見て衝撃を受け、文学による民族性の改造を志す。帰国後は文学革命の旗手として活躍、『狂人日記』『阿Q正伝』などの名作を残した。
 ロッキード事件
 米国ロッキード社の航空機購入をめぐり、日本の政界を巻き込んだ国際的な贈収賄事件。一九七六年二月、発覚し、同年七月、田中角栄(前首相)らが逮捕された。
 『ロビンソン・クルーソー』
 イギリスの小説家ダニエル・デフォー(一六六〇年頃―一七三一年)の作品。絶海の孤島に漂着したロビンソン・クルーソーの苦闘の物語。
 ロラン
 (一八六六年―一九四四年)フランスの作家。人道主義者として平和運動の先頭に立った。作品に『ジャン・クリストフ』『魅せられた魂』など。ミケランジェロ、トルストイなどの評伝も書いた。
 ロワール
 パリの南西トゥール市を中心とするロワール流域の渓谷地帯。この地方は古来、温暖な気候と肥沃な土地に恵まれ、王侯たちが好んで城を築いた。そのため「フランスの庭園」とも呼ばれるように、美しい古城が多い。
15  〈わ行〉
 ワイルド
 (一八五四年―一九〇〇年) イギリスの詩人、小説家、劇作家。
 『わが一期一会』
 一九七四年から翌年にかけて「毎日新聞」日曜版に連載した随筆集。毎回、作者が遭遇した人物や美しいものとの出会いを「一期一会」と題して執筆。一九七五年十月、改題して毎日新聞社より刊行された。
 渡辺崋山
 (一七九三年―一八四一年)幕末の画家、洋学者。儒学や蘭学に通じた。『慎機論』を著し、幽閉されて自刃。

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