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日蓮大聖人・池田大作

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母親の使命について  

「わたしの随想集」「私の人生随想」「きのう きょう」(池田大作全集第19…

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4  子供とともに絶えず成長を
 同じことは、子供に対する接し方についてもいえる。子供といえども、独自の個性をもった生命の主体者である。一個の平等な人間としての尊厳を認め──そのうえに立った対話が行われなければなるまい。
 いつまでも子供だと思っているうちに、いつのまにか大きくなってしまい、自分は、はるか昔に置きざりにされているかもしれぬ。
 幼児の時代から少年時代へ、少年時代から青年期へと、子供は年を追って見違えるように成長していく。ところが、その成長も、あまり身近でいつも接していると、意外に気づかぬものだ。かえって、少し離れ冷静に眺めている人のほうが、正しくとらえていることが珍しくない。
 要は、成長していく子供の姿を正しく認識し、それにふさわしい対話を持続していくことである。そのためにも、母親は、つねに自己自身の成長を図ることが大切であろう。
 家事に、育児に、母親の仕事はたしかに多忙であろう。だが、電化ブームであらゆる労働が軽減しているし、いわゆる核家族化で主婦の仕事は、かつての大家族制に比べれば、かなり簡易になっていることも事実のようだ。意欲さえあれば、時間をみつけだし、自己の成長のためにあてることも可能なはずである。
 女性にとっていつまでも若々しく、美しくありたいというのは、万人共通の願いであろう。そうした美しさの源は、決して化粧や衣服などの表面的なものにあるのではないようだ。みずからに厳しく、未来に希望をもち、つねに成長を願い、充実した日々を過ごしゆく生命の誇りともいうべきものこそ、いつまでも衰えぬ美しさの秘訣なのではあるまいか。
 女性の美醜は、生まれつきの容貌ではなく、内面から発する生命の輝きであり、人生に処する態度のあらわれで決まる。親の責任ではなく、自分の責任になるといってもよい。 母親になったからといって、──自己の成長を忘れ、所帯づかれして、いたずらに老けこんでいくのでなく、つねに溌剌と若々しく、子供にとっても誇りとされる母親であってほしいと思う。
5  “教育ママ”への忠告
 最後に、これはすでに述べたことと重なる面もあるが、よく問題になる“教育ママ”のことに関して一言したい。
 たしかに、子供にとって母親の与える影響は、計り知れぬほど重く大きいが、それは決して子供の自主性、主体性を奪う結果になってはならない。子供は無限の可能性を内に秘めているが、それを開いていくのは、ほかならぬ子供自身といえるからである。
 世に“教育ママ”といわれるものは、子供を偏愛するあまり、母親が自分の夢を押しつけ、自分の描いた型にはめこもうとする。これは、子供にとっては、不幸な抑圧でしかないだろう。そのため、反発から性格が変わったり、不良化する場合も、しばしば見受けられることだ。
 母親はどこまでも子供のよき理解者であり、親切な相談相手であり、そして、すぐれた導き手であってほしい。そして、明るく正しい、伸びのびとして、次の時代の担い手を育てあげていただきたいと願ってやまない。

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