Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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世界のなかの日本  

「私はこう思う」「私の人生観」「私の提言」(池田大作全集第18巻)

前後
4  不幸にして近代日本の政治の誤りは、この愛すべき民族を侵略戦争にかりたて、あげくのはては破滅の谷底へ突き落とす結果となってしまった。民衆のエネルギーはまことに逞しいものがあったが、誤った方向に発揮されたのである。いわば、それはエンジンは優秀だったが、ハンドルに故障のある欠陥車だったといえまいか。
 第二次世界大戦の灰燼のなかから、日本民族は、ふたたび今日の繁栄を築いた。エンジンが強力なだけに、急な曲がり角にでもさしかかったらどうなることかと、危惧にたえない。今は、加速を少々ゆるめても、欠陥修正に力を注ぐべきであると思うが、いかがなものであろうか。
 ともあれ、日本は、現代の世界において、欧米とならんで技術革新の最先端に立っていることは間違いない。そして、すでに、一部の未来学者の予測によれば、二十一世紀には――アメリカをすら追いぬく可能性も秘めているそうである。
 ひるがえって、巨視的な眼で世界の文明の発展史をみるならば、過去の文明はユーラシア大陸の中心部、すなわちメソポタミア、インド、中国に発生し、大陸を舞台に交流し混合しながら、周辺地域に広がっていった。ちょうど、池の中心部に投じられた石がそこから波を起こし、その波が隅々にまで伝わっていくように、ユーラシア大陸の最も端の隅であるヨーロッパと日本に伝わってきたのである。
 この文明の波の最も技術的な部分は、西端のヨーロッパで花を咲かせ、最も精神的な部分は東端の日本で実を結んだ。なかでも、日本は近代以後、ヨーロッパの科学技術を学び取ることにより、両方をともに、みずからのうちにそなえることに成功したといえまいか。
 大陸の端にあるということは、かつては“周辺”を意味したが、交通機関の発達は、むしろこれを“中央”に変えようとしているといっても過言ではない。大量の物資の輸送に、今では海洋ほど便利なものはなくなりはじめているようだ。
 さらに、海洋資源の開発が進めば、資源確保の意味からいっても、日本は、宝庫の中に浮かんだ巨大な工場とさえいえそうである。未来は、あらゆる観点からみて、日本にとって、まことに恵まれた時代になりうるであろうし、また、われわれの努力によって、そういう時代にしていける可能性が多分にあることだろう。
 ただし、それは、決して日本中心主義のエゴイスティックな行き方によっては達成できまい。なによりも、一国の繁栄といっても、現代そして未来は、世界全体の平和と繁栄とに密接に結びついているからである。
5  それからもう一つは、日本自身も含めて、現代の先進諸国が直面している“人間喪失”の課題をいかに乗り越えるかである。これは、産業社会のなかでの機械と人間、組織と人間の間の問題であるばかりでなく、戦争や公害、世代の問題ともからみあって、複雑で、広範な根っこをもっている。
 もつれた糸をほぐすにも、どこに糸口があるかを忘れていじりまわせば、もつれはますますひどくなってしまう。現代文明にからまる種々の難問も、一つ一つのもつれにこだわっているかぎり、いつまで経ってもほぐすことはできまい。
 まず、糸口から始めて、根気よく取り組む以外にないだろう。この糸口こそ、私は、この日本にかつて打ち寄せ伝わってきた、偉大な文化の波のなかにあると確信するのである。

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