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日蓮大聖人・池田大作

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私はこうして若い日を過ごした  

「私はこう思う」「私の人生観」「私の提言」(池田大作全集第18巻)

前後
3  一日二十分の読書が、一年つづけばどれほどの学者となり、教養となることであろう。
 ただし、読む本の選定は、きわめて大事であると思う。特に、人間としての生き方、人生の問題を深く掘り下げた、過去、幾万、幾億の人の共感を得てきた良書は、ぜひ読んでいきたいものである。
 人間の真の価値は、学歴や、地位や名声や、財産だけで決まるものではない。それを取りのぞいた、その人自身のもつ、人間としての実力、人柄、そして、つねに自己の建設を心がける情熱によって決まるといえる。
 力のない、福運のない人間ほど、虚栄に走り、虚飾で自分を包もうとするものだ。これほど苦しい、愚かな、悲劇であり、時として喜劇の人生はない。大切なことは、あわてず、倦まず、自分らしく、着実に自己の成長に励んでいくことだ。
 私は、読書とともに、音楽にこのうえなく心を奪われた。特にベートーベンの『運命』が好きだった。
 ゲーテは『運命』を聴くと、天井がグラグラ動く思いがすると述べている。また、ロシアのある文豪は『運命』を聴くと、勇気が胸中にわいてくると叫んでいる。
 私も、疲れたとき、苦難にぶつかったとき、この曲を聞いた。そのたびに、勇気がわき“よし、がんばろう。力の限り努力していこう”という決意が、五体にみなぎってくる思いがした。
 静かな音楽に聴き入るときは、大海原の深さ、広さに思いをはせる。そこからふたたび現実のさまざまな問題をば、冷静にみつめ、未来を考えるゆとりが得られた。
 激しい音楽を聴くときは、灼熱の太陽のごとき情熱がわき立った。そして、すぐにも飛びだして、活動したい衝動にかられたこともある。音楽にはまさしく宇宙のさまざまなリズムがあり、また、人生のあらゆる姿が秘められているように思えてならない。
 どのように激務がつづいても、音楽を聴くぐらいのゆとりはもちたいものだ。いや、激務なればこそ、音楽は、私たちに新たな勇気と、限りない夢と力とを与えてくれるのではなかろうか。私は、音楽に限らず、何か一つの趣味をもつことは人生にとって大切なことだと考えている。およそ趣味のない人は、幅が狭く、味気ないものだ。ただし、趣味に流され、生活を破壊していく行き方は、本末転倒であると言いたい。
4  青年は、過去に生きる人でもない。現在に生きるだけの人でもない。まさに、未来に生きる人である。
 アメリカの詩人ロングフェローは歌った。
 「死んだ『過去』をしてその死者を葬らしめよ! 行動せよ、生ける『現在』に行動せよ!」(大和資雄訳、平凡社『世界名詩集大成11』所収)と。
 哲人ヒルティは「生活はかならず不断の進歩であつて、既存のものの単なる反復であつてはなりません。最終の日まで、その日その日がまさに一つの創作なのであります」(『眠られぬ夜のために』草間平作訳、岩波文庫)と。これらの詩人、哲人の至言にふれるとき、強い感動が大波のうねりに似て心に脈うち、青年らしく生き抜こうと努力したものである。
 青春には苦しいこともあるが、希望が輝いていることも事実だ。つねに未来に希望をもち、成長していく人こそ、真に青春を謳歌している人生といえまいか。
 シラーのいわく「太陽が輝くかぎり、希望もまた輝く」と。
 私が、どう苦しんでいようと、病んでいようと、国が破れようと、太陽はつねに輝いていた。私の心の底には、踏まれても、押されても、希望の芽がすくすくと伸びていた。希望とは、一人の人間における太陽のようなものかもしれない。

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