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日蓮大聖人・池田大作

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春・ヨーロッパの旅 井上 靖  

「四季の雁書」井上靖(池田大作全集第17巻)

前後
6  もう一つの春は、終戦の翌年の二十一年の春であります。まだ敗戦の生々しい傷口は到るところに大きく口をあけております。駅々には大陸からの帰還兵がたむろし、闇市は気狂いじみた賑わいを呈し、金の価値は日々変動しております。依然として食糧は不足しています。そうした病んだ国土と、病んだ国民の上に、ひどく明るい春の陽光が降り注いでおります。誰もまだ使い方を知らぬ″自由″と、何となく脆弱さを感じさせる″ヒューマニズム″という言葉が、毎日の新聞のどこかに見掛けられる頃であります。しかし、この年の春は何と言っても明るかったと思います。私は大阪でこの明るい春を迎えました。空虚ではありましたが、やはり特別な春の明るさであったと思います。
 その後、特に明るいと言える春は経験しておりません。池田さんのお手紙によって、何のよごれもない、本当の意味での明るい春のお裾分けを頂いたような気持で、女子学園を卒業なさった娘さんたちの明るい春が、彼女たちのこれからの生き方に繋がるように心から祈らずにはいられない気持であります。
7  お手紙で、池田さんが教育を最終の事業と決めていらっしゃることを承ってたいへん心強いものを感じました。それから教育上の革命が、経済や政治の変革よりも、更に奥深いところで人間を変えてゆくというお考え、これまた、そうしたお考えに対して心強いものを覚えます。
 私は政治や経済には門外漢で、その人間をよくも、悪くもするぬえのような得体の知れぬ大きな力に対して、それを云々する自信もなければ、見当もつきませんが、教育という問題だけには大きな夢と期待を持ちたいと思います。現下の教育という問題においては、関係者がそれぞれ真剣に考えて立ちむかっているに違いありませんが、いろいろな望ましくない現象が現われております。
 私が一番困ると思うことは、試験、試験で若い時代を埋めてゆく現在の進学制度であります。確かに少数のエリートだけは選び出されますが、他の大部分の若者は自ら自分が非エリートであることを自覚せざるを得ません。一級大学に進めば、それで一生が決定するというような考え方も困りますが、実際に若い人たちはそのように考えているようです。エリートという言葉は、何とも言えず軽薄な嫌な響きを持っていると思います。
 それから試験、試験の慌しさが早くも小学校時代から始まっているというのも困ります。こうした塾に通ったり、家庭教師についたりする少年少女を見ていると不憫で堪まりませんが、どの親に訊いても、例外なくそうしないわけにはゆかないと言っております。
 それからもう一つは、教育というものの本質的問題で、池田さんがお考えになっておられ、とうに実行なさっておられることでありますが、教える者と教えられる者との心の触れ合い、これがなくては教育というものは意味をなさないと思います。知識というものを金で売ったり、買ったりしているような現在の大学の在り方は、何とかならないであろうかと思います。
8  御繁忙の日々、くれぐれもお体を大切になさいますように。
 一九七六年三月二十五日

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