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日蓮大聖人・池田大作

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芸術家・学者 井上 靖  

「四季の雁書」井上靖(池田大作全集第17巻)

前後
7  先生がお亡くなりになる前年、先生から最後のお手紙と、論文の抜刷を頂戴しました。お手紙は、私の小説の読後感を綴って、私の仕事を激励して下さったものでしたが、同封の抜刷については一語も触れておりませんでした。その抜刷は、レオナルド・ダ・ヴインチの「受胎告知」に関して書いた短いエッセーで、その中で先生はその作品の欠点を指摘され、それが偽作ではないかという見解を発表されておりました。
 それを読んで、私ははっとしました。と申しますのは、私はレオナルドの「受胎告知」を讃える詩を発表していたからであります。植田先生は私の詩を読んで、自分はあなたとは大分見方が違う、まあ、参考のために読んでごらんなさい、そんなお考えで、その抜刷エッセーを送って下さったのに違いありません。そうとしか考えられませんでした。
 私が先生の抜刷を読んで、はっとしたのは、自分が自分の勘だけでそのレオナルドの作品を賛美していたからであります。自分の芸術作品に対するいい加減な態度を、先生から指摘された思いでした。
 このことを高階秀爾氏に話しましたら、高階氏はレオナルドの「受胎告知」について調べて下さって、確かに曾て偽作と見られていた時代もあったが、現在は一般にはレオナルドの作品とされ、しかも傑作と見られている。しかし、なおそれを依然として偽作と見ている人たちも居る、大体こういうことでありました。
 従って、私は自分の「受胎告知」賛を訂正する必要はないわけですが、真作か、偽作か、それを調べる手続きも踏まないで、一人の小説家の独断的見解をなんの躊躇もなく発表したことは、やはり私の迂闊さであるとしなければなりません。今でもこのことを思うと、植田先生の指摘が心に痛く感じられて来ます。しかも、先生は、それについて直接一言も触れず、優しくたしなめて下さったのであります。
 これが私への、植田先生の最後の訓戒ということになります。先生というものは有難いものだ、こういう感慨を深くせざるを得ません。
8  京都から帰りまして、庭の白梅を見ながら、このお便りを認めました。また曇天が拡がり、寒さが舞い戻りつつあるようであります。御繁忙の毎日と拝察いたします。御近況伺うことができたら、たいへん仕合せであります。
 一九七六年二月十七日

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