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日蓮大聖人・池田大作

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大阪の心・「周恩来戦友」のこと 池田大…  

「四季の雁書」井上靖(池田大作全集第17巻)

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8  私は生来、桜が大好きです。青年の頃の焼け野原にたった一本残った桜の巨木が、見事な花びらをつけ、戦後のすさんだ人々の心をなぐさめ、勇気づけていた光景を、今も忘れません。その後、今日まで桜の植樹をかなりの規模で行いもしましたが、私にとってこの「周桜」は、春となく冬となく、いつも私の心のなかで咲いているように思われます。この桜のもとで、次代を担う日中の若い心が、日中の″友誼の春″を受け継ぎ、語り継いでいくであろうことを、私は願いもし、信じもしています。
 周総理の訃報に接したその日の夜、京都で千人ほどの会合がありました。私は出席の皆さんに呼びかけ、勤行に冥福の祈りを込めました。その後、北京からのニュースで、中国の人々が深い悲しみにひたっていることが報ぜられましたが、私は周総理の遺体が安置された病院の部屋に、夫人が認めた長さ一メートル足らず、幅三十センチほどの書があることを知り、感銘を深くしました。
 その書には大きく「周恩来戦友」とあり、その横に小さく「小超シイアチヤオ哀悼」と記されているそうです。周総理があれほど活躍された陰には、夫人の鄧穎超さんの働きも大変、大きかったことは知られています。「小超」とは周総理の夫人への愛称で、その夫人が亡き夫に贈った書が「戦友」ということが、きわだって印象的であります。
 「戦友」の字は、亡骸を見守るように掲げられていたとあります。首相が二十七歳、夫人三十三歳で結婚して以来、半世紀にわたって革命の幾山河を渡り、すべてを革命に捧げた御夫妻の歴史が、私には「戦友」の二字によくあらわされていると思うのです。風雪のたびに温め合った愛情と、烈風のなかで深め合った深い信頼が「戦友」という短い言葉のなかに、よく表現されていると思うのです。私はそこに尊いお二人の人生の軌跡をみる思いがしてなりませんでした。
 生前、お元気でおられた周総理が健康の秘訣を聞かれ、自分はその生涯を中国人民のために、革命のために捧げてきた、その心の張りが一番の健康の秘訣だと思うと語っておられたそうです。周総理の死が世界の多くの人々に深い悲しみを与えたのは、もちろん現代世界に欠かせない偉大な指導者であったことにはよるのですが、私にはなによりも、″私″を捨て、すべてを人民のためにという一つの目的に生き抜いた人間としての崇高さ、不屈の信念によるものと思われてなりません。
9  ともかく周総理は、私の胸中にも多くのものを残して逝かれました。
 一九七六年一月十四日

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