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日蓮大聖人・池田大作

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広島で考えたことども 池田大作  

「四季の雁書」井上靖(池田大作全集第17巻)

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5  再発の問題、遺伝の影響性など私としても被爆二世の持つ宿命をのがれることはできません。正直いって恐ろしい。しかし、私は勇気を持って生きて生き抜く決意でいます。もしだれかが「あなたにとって平和運動とは何か」と聞くならば、私はこう答えます。
 「具体的に言えば、生き抜いて結婚もし、健康な子供を育てる……。これも私にとって文字どおりの平和運動です。つまり自分という人間が、この世の中で最も人間らしい人間としてせいいっぱい生き抜いたという証を、日々刻みつけていくことです」と――。
 二人の青年には、過去への怨念とか、被害者意識からくる感傷や自己憐惑は、いささかも見られません。彼らは、はっきりと自らの生の意義を掴んでいるように思えます。その清々しい眸のなかに、私は未来に生きようとする者の強靭な意志を見る思いがしました。総会での拙い講演のなかで、私は核問題について若干の具体的な提言を試みましたが、私の眼底には終始、前日会った二人の青年の姿がありました。
6  今回の総会では、明年の私どもの主題として「健康・青春」を取り上げることが決議されました。平和や幸福といっても、その具体的な基盤は、個人、家庭、社会のなかに、健康と青春の息吹がみなぎっていて、はじめてもたらされるものではないかと思います。最も地道な問題でありながら、それは人生にとって第一義の重要性を持っています。私どもの運動も、こうした日常性の上に粘り強く展開されなければならないと考えております。
 講演のなかでも話したことでありますが、健康・青春は、不断の生命の革新にあると私は思います。そして、生涯青春ということは、歴史上のあらゆる先覚者の生き方を貫いている一つの特質ではないでしょうか。
 仏教の歴史の上でも、たとえばインドのゴータマ・ブッダ(釈尊)の生涯は、己の生命の灯が消えるまで、青春の姿勢を持していたと考えられます。仏典によれば、ブッダがまさに涅槃にいたろうとする時、スパドラという遍歴の修行者が、道を求めてブッダのもとを訪れたと伝えられています。ブッダはその時、沙羅双樹のもとに病に臥していました。付き随っていたアーナンダ(阿難)は、師の病を理由に、三度、スパドラの願いを拒絶します。と、それを聞いていたブッグは、やめなさい、アーナンダよ、遍歴行者スパドラを妨げるな。入ってきなさい。そして何でも欲することを聞きなさい、と言ったというのです。
 これはもちろん、覚者としてのブッダの姿を示した話ではありますが、一人の人間としてみても、そこに私は生涯を貫いている生命の燃焼と、温かい思いやりがうかがわれるような気がします。
 私は青春とは、たんに年齢的な、または肉体的な若さというだけのものではないと思います。青年期の信念を死の間際まで貫き、燃やしつづけるところに、真実の青春の輝きがあると考えます。
7  私事になりますが、明年の正月二日は、私の四十八歳の誕生日になります。いつのまにか昭和三年辰年生まれの私が、五回目の私の年を迎えることになりました。私も私なりに生涯青春の、精神の若々しさだけは失いたくないと、しみじみ思っております。
 十二支でいう「辰」の字の古形は、龍の星座の形をしており、龍を意味するそうです。十二支のなかで、龍だけが架空の動物ですが、それだけに古来から、人間の想像のなかでロマンに満ちた説話が伝えられています。有名な「龍門」は、今の中国山西省西部の、汾水ふんすいが黄河に注ぐあたりと言われていますが、川底の断層のため、逆巻く激流となっています。この難所を泳ぎ登る魚は非常に稀で、これを登り切ると、神通力を得て龍となるというのですが、干支えとというものにまつわる話はなかなか面白いものだと思います。
 辰を一日に配しますと、ちょうど午前八時頃の時間にあたりますが、私はその時間の太陽の無限の迫力を秘めて中天に昇ろうとする姿が好きです。干支というもの自体は、俗信に類するものであり、それにとらわれているのは愚かなことですが、人生の一つの節として、生まれ年を祝う習慣というのは、それなりに意味あることに思います。ともあれ、私は昇龍のように、また太陽のように、勢いのいい、つねに生命のバネを失わない人生の生き方でありたいと思っています。
 多忙のなかで、思いの走るままに筆を執らせて戴きましたので、読み返してみて趣旨のよくいたらないところが多く、恐縮に存じます。御容赦下さいますように。
 一九七五年十一月十七日

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