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日蓮大聖人・池田大作

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生と死について想うこと 池田大作  

「四季の雁書」井上靖(池田大作全集第17巻)

前後
12  私たちは通常、刻々と流れゆく日常的な時間のなかに、安易に埋没しがちですが、時にその流れを切り開いて、もっとも非日常的な″死″への眼差しを向けることも必要なのではないでしょうか。
 しかし、現代人には、その死を真正面から見すえること、生と死といういわば生命の二面性をしっかりととらえ、自覚化して生きることは、はなはだ難しいようです。
 手にとることのできるもの、明らかに見えるもの、じかに身体に感じるもの――現代人は、いっそう物欲と快楽にしか生の手応えを感じとることができなくなってしまったか、まるで刹那的な現世主義の虜になってしまったかのようです。
 しかし、人間の、生命の因果は逃れることはできないものです。井上さんの『化石』が広い読者に支持され、特に若い読者に共感をもって読み継がれているのは、現代人が超えようにも超え難い生死の狭間にひとしく遭遇する日常の生活にもよるのでしょう。私は岸本英夫博士の『死を見つめる心』や高見順の詩集『死の淵より』などがよく読まれるのは、何も現代の象徴的な病であるガンと闘った苦闘の記録だからということだけではないと思います。
 井上さんは死の宣告をされた『化石』の主人公に、「生命力が弱くなると、自分のことしか考えられなくなる」と語らせています。私も同感です。結局、豊かな生命力の発露こそが、エゴイズムの殻を打ち破り得るのでしょう。生命力が更に衰えてくると、ひとはかけがえのない自分さえも放擲しかねないものです。
 他者について思いやること少なき時代に、生命力の枯渇の傾向を指摘せざるを得ません。充実した生の営みは、死を無視したところからは生まれません。生死不二の思いを日常化することのなかから、現代人の生命観が確立されていくにちがいないと思います。
13  ここかしこに、秋の気配が色濃く立ちこめてまいりました。灯火親しむ秋――久しぶりに充実した読書の時間を持つことができ、その読後の印象と、それによって触発された感想とを、切れ切れに書かせて戴いた次第です。何分、時節の変わり目です。幾重にもお身体に気を配られて、御自愛なされますように。
 一九七五年九月十六日

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