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日蓮大聖人・池田大作

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カントの言葉・若い人たちのこと 井上 …  

「四季の雁書」井上靖(池田大作全集第17巻)

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4  しかし、今日、私は自分の周辺の若い者たちに、この言葉を披露し、この言葉の持つ魅力を受け取らせようとする時、いつもたいへん難しい作業であることを覚えます。
 確かに天上の星の輝きも、星をちりばめている夜空も、今の若い人たちにはさほど神秘なものではなくなっているかも知れません。科学文明の驚くべき進歩は、天空の神秘を征服し、月に人を運び、またそこから帰還させております。おっしゃるように、もう月で兎が餅をいているという童心のロマンは影薄いものになり、これから更に一層影薄いものになって行くであろうと思います。池田さんは、それに替って新しいロマンが生れつつあるとお考えになっておられます。そして遠い将来、月の神秘を最初に引き裂いた月面車が、そのような過去のロマンチックな遺物としての受け取り方を後世の人たちによって為されるであろうと、お考えになっておられます。あるいはそういう時代が来ることを信じようとなさっておられます。
 私も本当に、われわれの時代に生きた月の世界の兎の童話に替って、新しい月の童話が生れる日が来ることを信じたいと思います。その童話は、もし生れるなら、私などの想像できないほど明るく、人間が生きることに悦びを感じずにはいられないような童話であるに違いありません。先きに人工衛星に神の座席が設けられていなければならないと記しましたが、そうである限り、月は地球上の人類の、どこの国のものでもない、明るい共通の植民地となりましょう。そうならなくてはなりません。神秘な月の世界に手を触れた以上、それは今世紀の人間が、そして今世紀の人間が生んだ科学が、どんなことがあっても、果さなければならぬ責任であると言えましょう。
5  いかに感歎しても感歎しきれぬものは、天上の星の輝きと、わが心の内なる道徳律、――この言葉をもう一度ひかせて頂きます。今の若い人たちにとって、天上の星の輝きは、私が受け取ったものとは違ったものになりましたが、違ったのは天上の星の輝きばかりではないと思います。わが心の内なる道徳律という、われとわが人間の肯定的受け取り方も、大きく変っていると思います。これは、全世界共通のことでありますが、哲学的絶対とか、宗教的神とかいったものは、影薄く、力ないものになりました。と言って、それに替るものは生れておりません。戦後一時期、人類愛という言葉が、それに変るかに見えましたが、忽ちにして魅力ない姿を露呈してしまいました。
 戦後、若い人たちが第一義的問いかけから出発したことは当然であると思います。既成価値が取り払われてしまった荒野に於て、若い人たちはそういう出発をしなければならなかったのであります。人間とは何か、人生とは何か、親とは何か、子とは何か、生きるとは何か。若い人たちはやり直しを始めたと言えましょう。こうした若い人たちに対して、ずいぶん大人たちの無力な時代は長く続いております。そしてそうしたことから起る混乱は、今も続いております。
 が、この混乱を解くことは、なかなか難しいと思います。私自身、自分の若い頃を振り返ってみて、現代の若い人たちと非常に違っていたとは思いません。無償の行為に惹かれていたことも、たまたま自分に与えられた生命を、価値あることに捧げて、燃焼しつくしてしまいたいという情熱に駆られていたことも、おそらく今の若い人たちと同じであったろうと思います。ただ違うところは、それが野放しに置かれていなかっただけであります。
 私たちは、それぞれに神というものを持っていたと思います。学問を信じ、学者を信じ、正しいということがあることを信じていました。それがすっかり取り払われてしまったのが、おそらく今日の姿であって、若い人たちが初めからやり直さなければならなかったように、今や哲学も、宗教も、道徳も、何もかもが初めからやり直さなければならぬように思われます。池田さんがこれまで長い間情熱を以て為されているお仕事の中心がそこにあることは言うまでもありません。
 私はカントの短い言葉で、自分なりに生きる姿勢を持ちましたが、そういう点で、意識的に若い人たちと接しておられる池田さんの現在のお立場は、私などの想像できないほど大きいものであろうと思います。
 こんどのお手紙で、私にとって最も大切な部分は、静かな文章で、しかし烈しく語られてある、亡き戸田城聖氏との運命的出会いの部分であります。師に対する尊敬と、傾倒と、愛情が、行間から立ち上っているのを感じます。そして一人の人との出会いが、今日の池田さんを決めておられる事実と、その経緯を、感動深く読ませて頂きました。
 これまでにも、お二人の関係は、お書きになったものや、対談などで、その概略を承知しているつもりでありましたが、こんどのお手紙で、改めて心に滲み入るような受け取り方をさせて頂きました。それについては、この次、私の方からお手紙をさし上げたいと思います。
6  梅雨あけの烈しい雷鳴を聞きながら、このお便りを認めました。二、三日中にハワイにお発ちになると承ります。私も数年前の夏二カ月を、ハワイで過したことがあります。青い空と青い海のハワイで、どのようにお忙しくても、爽やかな休養の時間をお心掛けなさいますように。
 一九七五年七月二十一日

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