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日蓮大聖人・池田大作

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第二章 世間の波騒を超えて 『宮本武蔵』の世界

「吉川英治 人と世界」土井健司(池田大作全集第16巻)

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5  吉川文学のなかの「母と子」
 土井 吉川氏の作品では、英雄たちとその「母」との数々の名場面が描かれています。
 それも、歴史と人間の「実像」へのアプローチの一つととらえられますね。たとえば、『宮本武蔵』では本阿弥光悦とその母・妙秀との美しい交流の場面があります。
 池田 そうですね。『新・平家物語』には、戦乱に翻弄された義経の母が、「平和への悲願」をわが子に切々と語る場面が描かれています。
 また清盛は、義母の池ノ禅尼のまえに出ると、自分でも不思議がるくらい意気地がなくなる人物として登場する。(笑い)
 吉川氏は弁慶の母親までも創作し(笑い)、大きな体の弁慶が、母のまえで大声で泣くところまで書いている。(大笑)
 ――『三国志』でも、劉備玄徳とその母のエピソードを、冒頭に挿入していますね。
 池田 いかにもそのへんが、吉川作品らしい世界ではないでしょうか。
 物語の幕開けとなる、親を思い、子を思うあの有名なやりとりの描写は、原典の『三国志演義』にはない。
 母思いの玄徳は、一所懸命働いて貯めたお金で高価な茶を買い求め、母を喜ばせようとする。ところが黄巾賊にその茶を奪われる。そこを救ってくれた張飛に、玄徳は持っていた家宝の剣をお礼に上げてしまう。
 ところが母は、剣を手放したことを嘆き、その茶壷をあえて河に投げ捨ててまで、玄徳の「志」の自覚をうながす。
 土井 あまりにも巧みに書けているせいか、史実だと思っている人もあるようです(笑い)。「中国で古くから茶が飲まれていたことは、『三国志』にも記されている」――としている本もありました。(笑い)
 ――茶の原産地は中国雲南省からインドにかけての山系と言われ、かなり昔からあったと思いますが……。
 池田 古い記録としては、紀元前一世紀中ごろの『僮約どうやく』に出ています。
 また、すでに三千年前に茶が飲まれていたという説があります。吉川『三国志』はそうした背景をふまえたのでしょう。ただ、中国でも初めから、今のような飲み方はしていませんね。
 土井 ええ。中国には『茶経』(『中国古典新書』林左馬衛・安居香山訳、明徳出版社)という本があり、それによると三世紀半ば、つまり三国時代の揚子江上流の四川地方では、茶の葉を固めてつくった餅茶へいちゃをくだいて煮て、ねぎ、しょうがなどを加えて飲んだのだそうです。
 ――それでは、やはり一種の薬として飲んだのですかね。
 土井 当時は解熱や眠気ざまし、心身強壮のための薬だったようです。だからでしょうか、茶とは言わずに、「苦」(笑い)とか「めい」の字をあてていますね。
 ――日本に入ったのは、いつごろですか。
 池田 諸説あり、奈良時代に入ったという説もあります。また、伝教大師等が桓武天皇の時代に唐から帰った時に伝えられ、その後、近江の国・坂本に根づかせたのが初めてであるとも言われています。
 なお、ご存じのように、この伝教大師の旅は仏法上まことに重大な意義をもっていたわけです。日蓮大聖人も「伝教大師は万里の波濤をしのぎ給いて相伝し」(「四条金吾殿御返事」)云々と記されています。
 ――敦煌でも、唐の時代に書かれた『茶酒論』という本が見つかっているそうですね。
 池田 東西の交流とともに、茶もシルクロードを経てロシアへ、さらに十七世紀には、海路でイギリスをはじめヨーロッパ各地へと伝播していく。その姿は、東洋文化の壮大な流伝の一コマとも言えるでしょう。
 ――中国はやはり歴史が違うというか、スケールが大きいですね。十月二十三日(一九八八年)は、日中平和友好条約批准からちょうど十年ですが、日本も長期的視野がますます求められておりますね。
 池田 やはり、信義の心は不変でなければならない。いずれにしても、日中の友好は、アジアと世界の平和の機軸です。
 ――池田先生が日中国交回復を提言されてから今月(一九八八年九月)で二十年目になります。
 私は幸運にもその講演の歴史的場面・会場に居あわせた一人です。(笑い)
 土井 私はその夜、テレビのニュースで見ました。
 池田 いや、私は民間人の立場ですから……。
 ただ、長い目で見れば、国家間の関係といえどもかならず変化していく。これは米ソのINF全廃条約締結やイラン・イラク停戦を見てもわかるものです。
 ある意味で、現在の姿はあるべき未来への「仮の姿」にすぎないとさえ言ってよい。
 ですから、時代の流れ、そしてそれをつくる民衆の心の奥深くの願望を、指導者は絶対に見失ってはならない。
 ――そういえば、中国で、池田先生とローマ・クラブの創始者ペッチェイ博士との対談の翻訳本も出版されましたね。トインビー博士との対談集や、先生の選集などに続く翻訳ですね。
 池田 中国はちょっと出版の仕組みも違うし、私はすべてお任せしているので、よくわからないのです。ただ、ペッチェイ博士も青年をたいへんに愛されていましたし、喜んでくださっていると思います。
 ――政治、経済の次元は目先の利害が先行しがちになりますし、これからは、こうした地道な文化交流が大切になるのではないでしょうか。
 ところで、『三国志』ですが、登場する母で、とくに印象深いのは、やはり玄徳の母と、徐庶の母ですね。
 土井 徐庶の母のほうは、『三国志演義』とほぼ同じように描かれています。彼女は曹操の策略で突然、地方から都へ連れてこられる。そして、まるで「山鳩のような小さい目を、しょぼしょぼさせて」(全集25)曹操の顔を仰いでいると吉川氏は描いている。
 ところが曹操が、“玄徳のような逆臣に息子を仕えさせないで、自分に仕えるように手紙を書け”と言うや、老母の鋭い反撃が始まる。
 ――庶民の強さを描いて、いつ読んでも小気味いいところですね。(笑い)
 土井 しかし、曹操は、彼女の筆跡をまねたニセ手紙を送って、徐庶を招き寄せた。それを知った母はわが子に正しき道をさとすため、自害してしまいます。
 池田 やはり母親は偉大ですね。子どもに決定的ともいえる影響力をもっている。同様の中国の故事が、日蓮大聖人の御書にもあげられています。
 それは、故郷に住むある一人の婦人に与えられたお手紙(「光日房御書」)のなかに「されば王陵が母は子のためになつき頭脳くだ」とあります。
 ――これは……。
 池田 有名な、劉邦と項羽の戦いの折、沛の豪族・王陵は数千人の手兵を率いて劉邦の軍に加わる。
 そこで項羽は王陵の母をとらえて、王陵を味方につけようとはかった。だが、母は息子に「そなたは母を救うために二心を抱いてはなりません。そなたが心残りのないように、私は自害します」と手紙を書き送って、みずから頭を砕いてしまったという――。
 少々極端すぎる話かもしれない。しかし、時代や環境が変わっても、「これだけはゆずれない」という不動の基準をもった母親は強い。
 母の愛というのは、限りない優しさにあることは言うまでもないが、同時に、そこには、優しさの芯としての強さがなければならない。本当の優しさは、厳しさ、強さに裏打ちされているものです。
 土井 『三国志』では、呉の孫権の母も、息子が小細工を弄しようとするのを打ち砕く、一本筋の通った人物として描かれています。
 また、愚かな母の姿も、吉川氏はちゃんと描いています。(笑い)
 たとえば、『宮本武蔵』のお杉ばあさんと言えば、自分の息子の本位田又八を溺愛し、そのあげく、息子の許嫁が逃げたことまですべて武蔵のせいにして逆恨みし、武蔵をつけねらう人物です。
 ――母親が、自分の子どもに過度の期待をかけるあまり、失敗してしまうケースは、現代も切実ですね。子どものためでなく、親のための教育になってしまう……。
 池田 日蓮大聖人の御文(「上野殿御返事」)に「人のものををしふると申すは車のおもけれども油をぬりてまわり・ふねを水にうかべてきやすきやうにをしへ候なり」という言葉があります。
 やはり教育の根本は、子どもが「人生の道」また「人生の行路」を、立派に独り立ちして進んでいけるような、激励や環境づくりをすることではないでしょうか。その最大の教師が母親である。
 ――実際の吉川氏と母のイクさんとの間にも、美しい心の交流があったようですが。
 池田 氏の『忘れ残りの記』などを読むと、まだ若い苦闘時代の心境がよく偲ばれます。
 十九歳の秋、氏は船のドックの底へ落ちて負傷し、入院する。その時の母親の言葉が、「『英ちゃん』と、母はぼくの顔を抱くようにして囁いた。(中略)『もう、家の事は心配しないで……。お母さんの事も。……それより、おまえは、もう、おまえだけの方針を取って、苦学するなり、東京で働き口を見つけるなりしておくれ』
 母は、そう云って、急にあらたまった口ぶりで、『有難うよ。……英ちゃん、長い間、よく働いてくれたわね、もうおまえは、おまえの道を進まなければ』」(全集46)――。
 この時のことが自分の生涯に大きな転機と勇気を与えてくれた、と氏は書いている。
 土井 作家とその母の関係は、文学作品を理解していくうえで、大きな手がかりになりますね。たとえば漱石と鴎外では、母親像がまったく対照的です。
 池田 ですから、わが身を犠牲にしても、子に「志」を貫かせたい――という物語の「母」たちを描く原型は、「おまえはおまえの道を」という吉川氏の母の心にあった気がするのですがね。
 ――いいですね。
 土井 そういえば、ある研究所が、日本、アメリカ、中国の三カ国の高校生に「尊敬する人物」をアンケートしたところ、日本は第一位が「父」、第二位が「母」だったということで、ホッとしたという家庭もありましたが。(笑い)
 それにつけても、親がみずから、子に対して自信をもって示していける「志」をもっているかどうかを、わが胸に問うてみることが大事ですね。
 池田 仏法では、「志ざしと申す文字を心て仏になり候なり」(「白米一俵御書」)と、人生の「志」の根本法を説いています。
 財産とか名誉とか地位ではない。平凡に見えても、本当に親もその「志」に生き、子へも伝えていくことができるとしたら、その家庭は豊かであり幸せでしょう。
 「心」がどこを指し、どこに向かっているか。文字どおり、「志」の行方が人生と幸福の方向と内容を決定していくからです。
6  戸田会長の読書論
 土井 ある意味では、文学も、その出発点において、「志」の問題をもっとも重視していると、私は思います。
 その一例として、中国最古の詩集である『詩経』の大序には、
  「詩は志の之く所なり
   心に在るを志と為し
   言に発するを詩と為す」
 とあります。一言でいえば、「志」の発露こそが詩であるということになるでしょう。
 池田 たしか、『詩経』の大序では、自分が本当に言わずにはおれない、また歌わずにはおれないという「志」の迸るような表現が「詩」であると論じていたと思いますが……。小才とか、要領とかでごまかしのきかない、たしかな尺度であると感心した記憶があります。
 土井 おっしゃるとおりです。また人間、政治のあるべき姿などについても、論及しております。
 ――仏法ではどうですか。
 池田 そうですね。深き生命観のうえから、種々説かれていますが、その一端として、「ことばと云うは心の思いを響かして声を顕すを云うなり」(「三世諸仏総勘文教相廃立」)、また、「文字は是れ一切衆生の色心不二のすがたなり」(「諸宗問答抄」)とあります。
 すなわち、形に現れた「ことば」や「文字」は目に見えない「心」の世界の表現である。
 ですから、「人のかける物を以て其の人の心根を知つて相する事あり、凡そ心と色法とは不二の法にて有る間かきたる物を以て其の人の貧福をも相するなり」とも説かれています。
 いずれにせよ「表現」というものは、その人の境涯の“窓”と言ってよい。
 土井 なるほど。
 池田 戸田先生は、私たち青年に、「作者の人格と思想、その人生観、世界観、宇宙観まで、読みとっていかなければ、本当の読書とは言えない。作者の境涯がわからないと小説に読まれてしまう」と厳しく注意されていました。
 本の読み方もそうでしたが、万般にわたって、原理・原則を教え、確固たる「哲学」を青年に持たせておきたいという先生の心だったと思います。その基本さえできあがれば、応用は自在ですから。
 ――とくに現代は、そうした自分のたしかな視座をもたないと、それこそ「言葉の洪水」に溺れてしまいますからね。
 土井 言葉の表現といえば、徳川夢声氏がラジオの『宮本武蔵』の朗読で、たいへんな人気を博しました。氏との対談で、吉川氏は、権力を望む人間の心理について、語っていましたが。
 池田 そうですか。夢声氏とは、戸田先生も対談したことがあります。
 ――ええ。夢声氏の連載対談「問答有用」(「週刊朝日」昭和三十二年九月一日号掲載)に収録されております。夢声氏は、戸田先生の座談の妙を評価していて、できれば活字でなく、戸田先生の肉声を読者に伝えたいと――。
 池田 たしかその折、夢声氏は「文ハ人ナリ」をもじって、「はなしハ人ナリ」と記していましたね。
 土井 今はそういう座談の名手が少なくなりました。夢声氏と吉川氏との対談(『徳川夢声の問答有用』1、朝日文庫)も要約してしまうと、その座談の味わいをそこねますので(笑い)、あえてそのまま読んでみます。
 「吉川 ぼくはだね、『新・平家』を書いているあいだじゅう、どうしてもわからないことがある。(中略)多少は常識もあったり、ものもわかったり、学問もあったりするひとびとがみんな、より以上の権力に対して、ああいうふうに自分を、あるいは、自分の周囲すべてを賭けたのは、なぜかということだ」
 「夢声 それはね、酒飲みが、うまくもなんともないのに、ただもう、なんばいでも飲みたいような……。いくらでも飲みたいのとおんなじで、権力に酔って、あすこまでいっちゃうと、わけもヘッタクレもないんだな。
 吉川 すると、人類はみんなアル中のごときものかい(笑)。いやだな。近代になっても、人間のなかに、そういう妄想が強く残ってるような気がするんだ。保元の乱であろうと、なんであろうと、乱になる口火というものは、それに原因がある」
 池田 人間の心に巣くう権力の魔性――それが、歴史の幾多の動乱を凝視してきた吉川氏の胸中から離れなかった課題であったのでしょう。
 権力の魔性を酒にたとえるのは(笑い)、古今の通例のようだ。アメリカの政治学者ラスウェルは、自著『権力と人間』のなかで、イギリスの詩人サミュエル・バトラーの「権威は魔酒なり、その魔気は頭脳をおかし、ひとを軽佻・尊大・虚栄と化せしむ」(永井陽之助訳、創元社)を引いて論じていますね。
 土井 そういう“酒グセ”の悪いのが、いつの世にもいますからね。(大笑い)

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