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日蓮大聖人・池田大作

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九識論と深層心理学  

「大いなる魂の詩」チンギス・アイトマートフ(池田大作全集第15巻)

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11  アイトマートフ 私は中編小説の『海辺を走るまだらの犬』の中で自分なりにそのことを、つまり、人間の心の細胞的レベルのエゴイズムの克服について語ったつもりです。覚えていらっしゃるでしょうか、小舟で海に出て、霧に巻かれて方角を見失った三人の大人と一人の男の子が自分たちの立場の絶望的なことにしだいに気づいていく、という話です。
 私は、芸術の使命は、人間の心の、生きるための本能にもとづくエゴイズムを克服する能力を高めることであると思っています。実際の生活においては、いうまでもなく、それらすべては、私たちが抽象的な判断で望むものからは遠く懸け離れています。それというのも、細胞のレベルを超えたエゴイズムは、不可抗力だからです。
 海での遭難で破滅の運命にある小舟の姿は、その例は無数にあります。各人がまず第一に自分の身の安全を考えます。私はその本能に芸術の力を、個人を超えた意識の力を対置しようとしました。
 エゴイズムの魔性を克服すること、そこに人間の人間化の道があるのではないでしょうか? そこに認識の意味と目的があるのではないでしょうか?
 自己に打ち勝ったときのこのきらめく歓喜こそが人生を輝かせ、その最後の瞬間でさえ照らしゆき、時と空間を超えた広がりをもって、個々の人間が人類全体と一つになることができるのではないでしょうか。幸福とは、日常生活の枷や束縛から解放されることの熱狂的な歓喜です。その時は人は自分を鳥と感じます。その時は死の恐怖が消えます。
 そんなことは一瞬の出来事にすぎない、と言う人がいるかもしれません。そのとおりです。しかし、その瞬間は、過ぎ行く時間の尺度ではなくて、永遠です。
 永遠の感覚を味わった人こそ、本当の意味での人間です。
 芸術は認識の特別な形式であって、それは不滅の瞬間を記録する使命をもっています。芸術は世代の異なる人々を結びつけるものであって、同時に、一部の現代人が、自分たちは、あれやこれやを知りもせず体験もしていない先祖たちよりも「賢い」と思っているような、そのような、ドミトリー・リハチョフの言葉を借りれば、「幼稚な厚かましさ」を決して許しません。
 どうして古代の芸術は私たちにとって到達しがたい、しかしめざすべき手本としてとどまりつづけているのでしょうか?
12  池田 つまり、芸術は不滅の保証であるとおっしゃりたいわけでしょう。私は、あなたのおっしゃる意図がよくわかりますし、それは正しいのです。
 そうでなければ、なぜ古来、宗教と芸術はあのように切っても切れない関係でありつづけたのでしょう。世界中の美術館や博物館に足を運んでみれば――そのうちのいくつかを私も見ております――そのことは明らかです。とくに時代をさかのぼればさかのぼるほど、その密着の度合いは強まり、ほとんど二重写しと言ってもよいほどです。すべての宗教は、必然的な補完物として芸術的様式を要請していると言っても過言ではないと思います。
 当然でしょう。時間的にいっても空間的にいっても、生命が無限に拡大し、飛翔しようとする時、その自己拡大のエネルギーは、かならず何らかの“かたち”を求めるからであります。絵画であれ、彫刻であれ、あるいは文学であれ、その“かたち”の最も純粋な、典型的な表れが芸術であります。文化であります。
 したがって、優れた芸術は、例外なく、歴史と国境を超えて魂と魂とを一つに結びゆく「全一なるもの」を志向し、秘めている――私は一九八九年六月、フランス学士院での講演「東西における芸術と精神性」においても、そのことを強く訴えました。その「全一なるもの」は「詩心」と置き換えてもよいかもしれません。
 アイトマートフ もちろんです。なぜならば、芸術はその内部に、言葉では表現できない、しかし言葉なしで理解できる、身近な、素晴らしい存在の謎を秘めているからです。そしてそれは言語によって表現される音楽、つまり真の詩の中でのみ存在しうるものです。
 ああ、心の記憶よ!
 おまえは知性の悲しき記憶より強い
 十九世紀の詩人コンスタンチン・バーチュシコフのこの詩も、そのことを語っているのだと思います。ついでに言えば、このバーチュシコフは、芸術を、一般に創作を、「未来についての思い出」と見なしていました。
 池田 「未来についての思い出」は「詩人」の特権だというわけですか?
 アイトマートフ 決してそうではありません。私は、すべての人間は、実在の前、詩の前では平等であるとする仏教哲学の正しさを信じています。
 しかし、そのこととは別に、「浮世の雑事」が人間のもつ詩的感受性を殺し、人間を陰気で冷淡な存在に変えてしまっています。
 しかし、そこからいかなる結論を引き出すべきでしょうか? それはただ一つ、認識は――そこにどれだけの種類があろうとも――人間が自分自身の内部へ向かう道である、ということです。
 人間の尊厳は、おそらく人間の潜在意識の中に秘められているにちがいない並外れた精神力を、自分の心の中に意識的に目覚めさせることを人間に義務づけています。「星女」の幻の話も、そのことを物語っているように思います。もしそれが実現すれば、人間が人間になることを妨げているすべての奇怪至極のものは、たちまち崩壊してしまうでしょう。
 コンスタンチン・バーチュシコフ
 一七八七年―一八五五年。ロシア。

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