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日蓮大聖人・池田大作

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忘れられた「死」  

「大いなる魂の詩」チンギス・アイトマートフ(池田大作全集第15巻)

前後
4  池田 死というテーマに真正面から取り組むことは「荷が重すぎます」というあなたの言葉に、私は、人生を真摯に生きぬいておられる人に特有の誠実さを感じます。“死と太陽は直視できない”と言われるように、たしかに、死を見据えるには、ある種の宗教的達観に立たねばならず、それゆえ、原始宗教であれ高等宗教であれ、あらゆる宗教は、死に対する独自の解釈を、教義の枢軸に据えてきたのです。
 とはいえ、そうした教義が、それを信ずる人々に死の問題をめぐる一様の解決の在り方を保証していたわけではありません。教義をどう実践し解釈していくかは、換言すれば宗教的達観のそれぞれの在り方というものは、十人十色で、さまざまに異なっているからです。
 その差異を無視して、千編一律の解釈や取り組みを強要すると、そこから狂信、盲信、迷信、軽信、邪信といった、あらゆる種類の宗教のもつ“負”の側面が噴出してきます。そのことは古今東西の宗教の歴史が、何よりも雄弁に物語っているところです。
 私は、死に対するあなたの誠実で謙虚な言葉に耳をかたむけながら、『論語』の孔子の言葉――「未だ生を知らず、焉んぞ死を知らん」(まだ、生きている人間の道さえ知らない者が、どうして人間の死のことがわかろうか)――を思い出しました。
 この言葉は、「子は、怪力乱神を語らず」(先生は、奇怪な事柄、暴力的な事柄、無秩序、神秘については語らなかった)という、有名な弟子の言葉などとあわせて、死後の世界、非合理――神など――世界への孔子の無関心を示す、儒教の合理主義と現実主義を表すものとされてきました。
 それは、そのとおりなのですが、そのことを裏返してみれば、孔子の無関心は、決して字義どおりの無関心ではなく、死の問題への安易で、画一的な解釈のしかたに対しての孔子の警告もしくは自戒ともとれましょう。孔子ほどの人物が、人生における死の意味、死をもって完結するしかない、つまり生の中で死を生きるしか生きようがない人生にとっての死の意味を、考えなかったはずはないからです。私はそこに、あなたと共通する誠実さ、謙虚さを見たいのです。
5  もとより私は、仏法の透徹した生死観を確信しています。その点に関しては、他のところ(=第六章「内面へのはるかな旅」)でふれることになるでしょう。と同時に、宗教的確信が真に確信たりうるためには、あなたのような死への誠実な問いかけを、これまた誠実に受けとめ、対話を交わしていくことが不可欠なのです。それを怠ると、確信は、容易にドグマへと堕してしまうからです。
 ところで、あなたは“カミカゼ”についてお尋ねでした。たしかに、死への片道切符を手に多くの若者を戦場へ送りだした“特攻思想”は、近代日本が生んだ、史上あまり類例を見ない集団的狂気と言えるかもしれません。戦争そのものが、多かれ少なかれ人権に制限を課するものですが、何といっても“特攻思想”を貫く生命感覚の歪み――人命軽視、人権無視は、否定しようのないものです。
 その点、特定のイデオロギーにもとづき、階級的利益のために個人が徹底して軽んじられた、かつてのソ連と軌を一にしていると言ってよいでしょう。
 しかし、私はここで、日本の若者の名誉のために断っておきたいのですが、そうした集団的狂気の中にあって、すべての若者が我を失い、何物かに憑かれたように散っていったのではないのです。
 むしろ、そうしたケースは少数派であり、大多数の若者、とくに学徒出陣者の多くは、いやおうなくやってくる死というものと向き合い、悩み、対決し、早すぎる死をどう意義づけるか、必死に煩悶しつづけたのです。これを見つめ、己を超え、大いなるものと合一することによって、自分の死を納得しようと、若い魂は、狂おしいばかりの模索をつづけていたのです。
 その結果、彼らの多くは、やや強引にではあっても、みずからに死の意味を納得させ、生への未練や戦争への呪詛というよりも、ある種の宗教的平常心のような心境で、死出の旅路に旅立っていったようです。そうした証言集は数多く残されており、まことに痛ましく、胸突かれるようで、涙なくしては読めません。
 だからこそ、若者をそのように死を美化せざるをえないような状況に追い込む事態だけは、絶対に招き寄せてはならない、と念じております。
 「戦争を準備するのはいつでも悪徳で、戦うのはいつでも美徳だ」という言葉がありますが、“特攻思想”を実あらしめていたものの支えには、若者の勇気や自己犠牲、努力などの「美徳」があったことに疑いを入れることはできません。むしろ責めらるべきは、若者の犠牲の上に立って、背後でみずからの権力欲に明け暮れていた指導者の「悪徳」です。
 創価学会の牧口常三郎初代会長は、戦場に向かう青年に「死んで帰ってくるな。生きて帰ってこい」と言われました。青年を死へ誘うような美学を、牧口会長は絶対認めませんでした。
 力強い生命尊厳の思想に立脚していたからです。そしてみずからは、軍国主義と戦い、七十三歳で獄死しました。この信念の行動こそ、私どもの平和運動の原点であります。
 戦争を……
 岩波書店編集部編『日本の生き方と平和問題』岩波書店を参照。

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