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日蓮大聖人・池田大作

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往復書簡 親愛なる友、池田先生  

「大いなる魂の詩」チンギス・アイトマートフ(池田大作全集第15巻)

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4  私にとって気がかりなのは、現在、世界で進行しつつある対決政策の拒否への転換は、かなりの程度において強制的な性格を帯びていて、そこでは、まだ消え去らぬ戦争の脅威はいうにおよばず、技術革新の裏面であるエコロジー的危機が大きな役割を演じている、という考えです。強制された平和愛好は強固なものではありえません。ロシアには「悪しき平和は善き争いに優る」という諺があります。それはたしかに善いかもしれませんが、それでも、平和愛好の心を強めて、善き平和を達成したいと思います。どういう方法でそれを成し遂げることができるとお考えですか?
 世界にはすでにかなり前から一つの傾向が顕著になってきていて、それは経済や環境、共同防衛といった統合化が進む一方で、急激に民族意識が高まり、それが人々を分断する結果になっているというものです。分断の要因には、とくに目立つイスラム原理主義を初めとして、さまざまな宗教的原理主義があります。それは、われこそ究極の真実をもてり、という攻撃的な野望によって、宗教を黒か白かという幼稚なレベルに引き下げてしまうものです。
 ソ連邦では、社会経済理論であったはずのマルクス主義が、神も道徳性ももたないまま宗教まがいのものとなってしまいましたが、原理主義はそういったソ連の社会主義と相通ずるものがあるように思います。道徳性をもたないというのは、人類社会全体の中で一つの体制、一つの国家だけが正しいとするようなイデオロギーに道徳性などありえないからです。
 わが国に強く根づいた全体主義的な意識は、普通、考えられているように、権力を担っているものたちだけがもっていたのでは決してなく、民衆の中にも浸透していたものですが、私の考えでは、それは、ペレストロイカを進める上での大きな障害の一つです。そこであなたの意見をおうかがいしたいのですが、全体主義意識に対置できるものは何であると思われますか。
 もう一つ、あなたと共に考えてみたい問題があります。それは全体主義と環境問題です。全体主義の犯罪の一つは、全体主義国家が環境破壊の規模の本当の大きさを隠し、情報を隠蔽することによって、エコロジー的思考の発展をはばみ、環境破壊の後始末の対策を遅らせたことにあります。その典型的な例が、チェルノブイリの影響を四年間隠しつづけたことです。全体主義とは、命令に服従することのみに慣らされた民衆の受け身の姿勢であり、上層部のもっている、自分たちは絶対に罰せられることがないという感覚であり、彼らが出す指令がもたらす結果についてまったく感知しない無責任さです。
5  一面から見れば、全体主義的意識は目の前の目標のみを追求し、現在のみに生きていますが、別の面から見れば、全体主義的意識にはまさに現在というものがありません。全体主義的意識はつねに輝かしい未来をめざしていて、その未来のために現在はいつも犠牲にされているからです。それゆえに、私は、全体主義意識はどんな形態のものであれ、特定のイデオロギーを絶対化し、人類を分裂させることによって、人類に最大の危険をもたらすものだと思います。
 ことによると、私はこの問題で芸術文化の役割を過大に評価しているのかもしれません。が、にもかかわらず、芸術文化は精神文化とともに(両者の境界はかなりあいまいですが)全人類的利益が民族主義のエゴイズムや独占資本の貪欲よりも優先される単一世界の創造に、それなりの貢献をすることが可能だと思っています。この問題についてあなたのご意見をうかがいたいと思います。
 民族芸術――文学、音楽、美術など――は最も良く、最も完全に民族的な精神を表現しています。それゆえに、主権国家という従来の概念が急速に意味を失い、国境の壁が過去のものとなりつつある時代においては、まさに芸術文化こそが民族の独自性を担う主体者となります。加えて、現代の技術は、人類の前にかつて存在しなかった可能性を切り開いて、以前には実現不可能であったことの実現を可能にしています。いまだに、国家がその構成員である民族集団や少数民族の生活を規制する特別な権利があるかのような既成概念がありますが、さまざまな民族の文化をより広く知ることによって、このような観念を打ち破ることができるのではないでしょうか。
 私が言わんとしているのは、少数民族の権利がしばしば暴力によって侵害されているのに、外部からはだれもその国家の「内政に干渉」できないでいるような場合です。不干渉といっても、それが度を越すと暴力の容認になってしまう、というような道徳的な限度があるのでしょうか?
 フクヤマ
 一九五二年―。論文「歴史の終わり」は反響を呼んだ。
 公開状
 一九九一年一月十五日、フセイン大統領宛に打電。

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