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日蓮大聖人・池田大作

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リーダーへの戒め  

「大いなる魂の詩」チンギス・アイトマートフ(池田大作全集第15巻)

前後
3  池田 「心理や習慣の変化をもともなう、民衆の生活の本当に深い変化は、緩慢にしか起こらない」というあなたの指摘は、まったく正しく、どんなに強調してもしすぎることはありません。その変化の鼓動は、心して、注意深く耳をかたむけていなければ、決して聞こえてきません。
 だからこそ、私は、革命を志す者は自分も民衆の一員として、民衆とともに生活していなくてはならず、そこから遊離した職業革命家というものの存在に、根本的な疑義をさしはさむのです。いとも簡単に「悪」を「善」に置き換えようとする、いわゆる“革命家”流の紋切り型のスローガンなどでは、人間にとって本質的なものは、何も変化もしなければ解決もしません。
 ゲーテの炯眼は、さすがにその本質部分を見据えていました。「真の自由主義者は(中略)自分に許された限りの手段をもって、できるだけ多くの善事を実現しようと努める。しかしながら、時に避けがたい欠陥があっても、立ち所に炎と剣を用いて、これを勦滅しようとするのを慎む。公けの欠陥を思慮ある前進によって、徐々に除去して行こうと努める。暴力的手段は同時に多くの善きものをも滅ぼすものであるから採らない。この世界はつねに不完全なるものである。それで、時と事情とが幸いして、より善きものに到達できるまでは現在ある善をもって満足する」(前掲『ゲーテとの対話』)と。
 アイトマートフ ゲーテが糾弾した現象と似たようなことが現在も起こっています。極端な演説をともなう政治集会、暴力行為に走りがちなデモ行進、高く突き上げたこぶし、破壊、爆破等のロマンティシズムへの陶酔がすでに一度ならず存在し、それらの行き着く先はただ一つ、騒動、流血、独裁、強制収容所の有刺鉄線……でした。
 むしろ、歴史が私たちにチャンスを与えてくれたのですから、人間的に、文化的に暮らすことを試みるべきです。挑発的なアピールを怒鳴るのではなくて、論議し、やっと芽生えたばかりの民主主義の若緑の芽を大切にし、やっと固まりつつある公平な法律と平和な生活を尊重し、創造のために努力すべきであって、すでに創造されたものの熱狂的な再分配にのみ意を注ぐべきではありません。
 池田 その意味で私は民衆に対する「リーダー」の責任を問題にしたのです。
 アイトマートフ スターリンがマキアヴェリに関心をもっていて、彼の『君主論』を鉛筆で書き込みをしながら読んだ、ということはよく知られています。スターリンの書き込みを研究したら面白いと思います。
 権力と民衆との関係において、私たちは今、おそらくソビエト権力の歴史の中で最も複雑な時期を経験しています。ブハーリンはサン=ジュストの「法律で統治することができなければ、銃で統治することが必要である」という言葉を好んで引用しました。銃で統治することは、わが国ですでに試験済みであり、その行政的実験の結果は広く知られています。しかし法律で統治する術を私たちはまだ心得ていません。新しいリーダーたちが今それを学び、議会が学び、民衆が学んでいます。そこでは、とりわけ冷静な相互評価が不可欠であり、権力と民衆との相互作用の新しい流派、新しい型が必要です。
 「偉大な指導者」と「偉大な国民」という二つの構成要素しかもたなかった古い単純化された公式を拒否することが早ければ早いほど、権力にとっても、民衆にとっても良い結果を生みます。
 マキアヴェリ
 一四六九年―一五二七年。イタリアの政治思想家。その著『君主論』は政治と道徳・宗教の分離を説き、権謀術数の政治を主張した。近代政治学の祖と言われる。
 サン=ジュスト
 一七六七年―九四年。フランス革命時の政治家。
4  池田 『君主論』へのスターリンの書き込みには、こんな言葉があるのかもしれませんよ。「誠実、正直、愛情などというものは、政治的な範疇の言葉ではない。政治には、政治的な打算があるのみだ」と(前掲、長島七穂訳)。
 ご存じのように、これは、ルイバコフの『アルバート街の子供たち』に実名で登場するスターリンの言葉です。ルイバコフの描き出しているスターリン像は、作家が綿密な考証による裏付けをとっている上、想像力を駆使して作り上げているので、なかなかの説得力をもっています。たしかに、スターリンは、言葉の最も悪しき意味でのマキアヴェリズム(権謀術数主義)の化身でした。
 それにしても「偉大な指導者」への信頼、尊敬、献身といった国民的な心情が、あのスターリンのような怪物を生み育ててしまうロシア史のパラドックスには、本当に胸が痛みます。
 そうした「人治」――良い意味でも悪い意味でも――の伝統の根強いところへ「法治」の習慣を根づかせようとするのですから、ペレストロイカが、いかに壮大な、ある意味では途方もない試みであり、難事中の難事であったかがわかります。いや「……あった」などと過去形で語るべきではないでしょう。民主化(デモクラチザーチヤ)、情報公開(グラスノスチ)など、ペレストロイカの解き放った改革の数々は、暗中模索しながら、いま進行中なのですから。
 前途に楽観は許されないものの、その足を引っぱる“ロシア的伝統”なるものに、あまりこだわりすぎるのも生産的ではないでしょう。つまり、アナーキー(無政府)志向と強権支配志向との間を揺れ動き、法にもとづく秩序感覚=市民社会的伝統が欠落しているのは、たしかにそのとおりでしょうが、広大なロシアのこと、すべてを同一の物差しで推し測ることはできないでしょう。
 その点に関して、いつでしたか、モスクワ市長のポポフ氏が、ゴルバチョフ元大統領の出身地は、何百年もの間、役人や警官のいない自治の伝統の強い地域で、ゴルバチョフ氏が濃密に体現していたデモクラシー、リベラリズムは、その伝統ぬきに考えられない、と語っていたのを印象深く記憶しております。
 私も、党官僚の典型的なエリートコースを駆け上りながら、あのように思いきった、ペレストロイカという“火中の栗”を拾うような人物が出現したことに、ゴルバチョフ氏の個人的資質だけでは割り切れないものを感じていただけに、ポポフ氏の言ったことがたいへん興味深く感じられたものです。

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