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日蓮大聖人・池田大作

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「悲劇的なるもの」の恵み  

「大いなる魂の詩」チンギス・アイトマートフ(池田大作全集第15巻)

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5  池田 本当に感動的なエピソードですね。「事実は小説より奇なり」と言いますが、そこでは、小説のフィクションと事実とが重なり溶け合い、巧まずして一つのストーリーを織り成しているようです。その学生が、小説中で少年に死んでほしくなかった、というのもわかるような気がします。
 しかし、そうした悲劇的な結末にもかかわらず、その学生は『白い汽船』を読むことをやめないでしょう。敷衍して言えば、悲劇を悲劇と知りつつ、人々はそれを読み、観劇することをやめないでしょう。そこに、悲劇というものが、かくも世界の人々から愛しつづけられてきたゆえんがあります。
 とはいえ、悲劇的なるものの受け取り方が、経験豊かな批評家とごく普通の読者とではそのように違うということは、原則的にどういうことだとお考えですか?
 アイトマートフ おそらく、前者は作家がどう現実を見、描いていくべきかまで「知っている」ほど「経験豊か」でいらっしゃる人たちで、後者は真実を、本当の真実を求めているにすぎない「普通」の人たちだということでしょう。
 悲劇は共同参加を要求します。そこにこそ悲劇の真骨頂があるのです。いうまでもなく、私たちの社会も我々自身も、今や悲劇というジャンルの中に生きています。それは個人だけではありません。人類全体が悲劇に遭遇しているのです。ここから逃げることはできません。お決まりのハッピーエンドの文字の中に隠れていることはできないのです。それを克服するということは、みずから危険を冒すということであり、必要ならば、誠実で、高潔で、心清らかな人々、つまり英雄たちが味わっていることを、みずから体験することです。
 よく知られているように、悲劇は芸術の最高の形式です。現代文学はその旗印のもとに発展するように思います。
6  池田 そう思います。しかし「善」と「悪」は社会的に具体的な概念です。どちらも時代の枠の外には存在しません。おそらく、現代の悪は、過去の時代の人々には信じられないでしょう。
 芸術家は現代の「悪」の本性と本質をどのような手段によって描いたら、二十世紀の人間の想像力を揺り動かすことができるのでしょうか? あなたがおっしゃるように、実際の現実は想像を絶しています。それはどんな空想小説よりも恐ろしいものです。というのは、それが現実だからです。
 アイトマートフ たしかに、今日、芸術の力で人間を揺り動かすのは容易ではありません。ファシズムとの恐ろしい戦争を体験し、広島と長崎の悲劇を経験し、地球の多くの地点で行われている日常的な残虐行為を知っている人類の痛閾は大きく変化しました。
 一例として、「黙示録」を考えてみてください。つい最近までそれは人々の想像力を揺さぶり、古代の預言者兼詩人が次のように想像した「世界の終わり」の光景によって、人々を恐怖のどん底におとしいれました。
 「いなごの姿は、出陣の用意を整えた馬に似て、頭には金の冠に似たものを着け、顔は人間の顔のようであった。また、髪は女の髪のようで、歯は獅子の歯のようであった。また、胸には鉄の胸当てのようなものを着け、その羽の音は、多くの馬に引かれて戦場に急ぐ戦車の響きのようであった。更に、さそりのように、尾と針があって、この尾には、五か月の間、人に害を加える力があった」(前掲『聖書』新共同訳)
 もちろん、芸術の目的は読者を「脅す」ことではなくて、人々が生きることに対する絶望や恐怖に打ち勝つのを助けることであり、人々の心に気高い感情を呼び起こして、「悪」がどのような形態をとり、どのような仮面をかぶろうと、その「悪」に抵抗することを可能にすることです。そのこととの関連で、現代の現実認識を最も完全に表現しうるジャンルとして、悲劇の問題が想起されているのだと思われます。
 池田 ところで、新しいシェークスピアが生まれてくると思いますか?
 アイトマートフ 以前、私は音楽家のドミトリー・ドミトリエヴィチ・ショスタコーヴィチにそのような質問をしたことがあります。その時のショスタコーヴィチの考えに私は驚き、かつ感心しました。
 それはこういうものでした。現代の世界には新しいシェークスピアが生まれてくるための多くのチャンスがある。なぜならば、人類はいまだかつてないような精神の万能化に到達している。それゆえに、もしも偉大な芸術家――シェークスピアのような――が現れれば、彼は、音楽でのように、全世界を自分一人の中に表現することができるだろう……。
 この会話は歩きながらのものでした。私は後に、自分一人になったとき、その言葉の意味を理解しました。ショスタコーヴィチは文学に人生の包括的な、「音楽的」な普遍化を期待していたのでした。
 自分一人の中に全世界をとらえること……。
 たとえ到達不可能な課題であるにしても、芸術家にとってこれ以上大きな夢はありません。
 ドミトリー・ドミトリエヴィチ・ショスタコーヴィチ
 一九〇六年―七五年。旧ソ連の作曲家。

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