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日蓮大聖人・池田大作

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民話のもつ意義と普遍性  

「大いなる魂の詩」チンギス・アイトマートフ(池田大作全集第15巻)

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12  アイトマートフ そのとおりです。「序文」の先をつづけましょう。
 「民衆は記憶の中に、かつて存在した、あるいはいまだかつて存在しなかった出来事を、決して中断することのない民話として保存しています。それは光明への導きの糸です。あるいは、より正確に言えば、それは、人類が《未来》という名の素晴らしい国への扉を開けるのに使う金の鍵です。未来はつねに前方にあります。
 ところで、私の若い友よ、ここである素晴らしい詩人の次の文句をじっくり読んで、よく考えてほしい。《人間の不思議な感性がとらえられないような“不思議”はこの世には存在しない》。
 これはボリス・パステルナークの言葉です。素晴らしい言葉ではありませんか。つまり人間は神業と言うべき世界の誕生という奇跡に驚く能力がつねにあるのです。そしてこのような驚きを失わぬ人間こそが、幾千年の歳月に何ら関心を払わぬ者より聡明なのです。これこそが良質の大人たちが夢見てきたことです。ヤヌシュ・コルチャクは教鞭をとり、数多くの童話や『私がふたたび子どもになる時』というリアリスティックな本を書きましたが、彼もそういう素晴らしい人間の一人です。
 子どもになるということは巨人になることです。私はふざけているのではありません。恐ろしい自然現象を屈服させることができるのはまさに子どもなのです。
 子どもは、だれかを不幸から救いだすためならば、どんな自然の猛威とも、胆力・品性あわせもつ中世の騎士よろしく戦う覚悟をもっています。そして子どもは未知とも戦います。そしてつねに勝利します。どうしてでしょう? なぜならば、ここでもふたたび、自分のためではなく、虐げられ、辱められている者たちの幸せのために戦うからです。
 そして、その、民話の不滅さを無条件に信ずることは、今日とくに重要です。空想的なるものは、新しい、思いがけない視点で現実を見ることを可能にする、現実のメタファー(隠喩)なのです。メタファーが現代においてとくに必要不可欠になっているのは、科学技術の成果がつい昨日までは空想の世界であったような分野にまで入り込んできているからだけではありません。そうではなくて、むしろ、私たちの生きている世界がまさに空想的(ファンタスティック)な世界だからです。
 遠い昔に民話を考えだした人々は、驚くほど現実に即した未来を予見して、その未来に若い世代を備えさせ、少なからざる勇気と意志の力を必要とする極端な状況の中で、若い世代の知性と感性を鍛えようとしているかのようです。
 民話はそこに語られていることの多くが現実のものとなることによって古くなりつつあるのでしょうか? それに対しては、星は古くなるのでしょうか、という問いで答えましょう。世界は子どもの心の中でつねによみがえり、新たに生まれ変わっています。それゆえに民話は人生の永遠の魂なのです。
 もっとも、それと同時に、民話は人間の精神の発達の中での特別な歴史的現象であり、その時代は特別な時代です。それゆえに民話は唯一無二のものです。なぜならば、それは『奇跡』についての、つまり、私たち自身についての幸福な思い出を保存しているからです。人々の心にはあらゆる時代の、あらゆる民族の民話の主人公たちが自覚されないままに生きつづけ、時折よみがえってきます。
 それは何を物語っているのでしょうか? 私たちは皆同じ人類だということです。民話はその本質において国際的なものです。カフカス出身の詩人が次のように語ったのは、理由のあることです。
 人みな同じ言語で泣き
 人みな同じ言語で笑う
 わが若き友よ、私は君がわが広大な国土の諸民族の多くの民話を、初めて読むことができるようになったことを喜びます。同じ一つの“屋根”の下に集められたそれらの民話は、(地球という)自分たちの家と、同じ気遣いや夢や希望に生きる人々を愛することを教えてくれます」
 私の即興話が長くなってしまってすみません。しかし児童図書の成り行きに対してはだれもが無関心でいることはできません。児童図書はひらめきを要求します……。
13  池田 あなたのお話の中には、素晴らしい言葉が珠玉のように光っております。たしかに民話には国境はありません。それは、民話には結局は、人間普遍のテーマが扱われているからです。さらに言えば、民話はインタナショナル(世界的)であると同時に、コスミック(宇宙的)でもあります。ギリシャ神話などの神話の世界はいうまでもありませんが、たとえば日本の古い説話である『竹取物語』では、かぐや姫は月に帰っていきます。宇宙との生命的な交流は、まさに自由な創造力がもたらしたものです。
 ある日本の著名な科学者は、物理学を学ぶには、ギリシャ神話を読むとよいと言っておりますが、それはそこに表れている想像力、空想力が、科学を発展させる創造力にも通うものであるからだと言うのです。
 そして、そうした世界の主人公は子どもたちです。長じても子どもの感性を失わぬ詩人たちです。よく引かれるように、「氷が解けたら何になる?」と聞かれたとき、大人たちは「水になる」と答え、子どもたちは「春になる」と答えた、と。子どもたちの答えの何とファンタスティックなことか。そこには、詩心があります。自然が息づき、宇宙の鼓動が聞こえてきます。
 それに対し、大人たちの答えの何とみすぼらしく、無味乾燥なことか。近代人が科学や知性の名のもとに、いかに多くのものを失ってきたか、歴然としております。近代が、中世の世界観に代わる新たな世界像を創出したというより、世界像なき時代であると言われるのも、ゆえなきことではないのです。
 コスミックといえば、これは民話ではありませんが、宮沢賢治の作品『銀河鉄道の夜』は、日本で最も親しまれている童話の一つです。作者はみずからの心象世界としての銀河系を描き、そこを鉄道で旅する少年の心の成長の跡をたどっている名作です。
 少年は、銀河をどこまでも旅していける切符を持っておりますが、その少年に呼びかけるこんな声が聞こえてきます。「さあ、切符をしっかり持っておいで。おまえはもう夢の鉄道の中でなしに、ほんとうの世界の火やはげしい波の中を大股にまっすぐに歩いて行かなければいけない」(新潮文庫)と。それがとても印象的なのですが、美しいファンタジーの中にも一つの信仰を教えるほどまでに人生を励ますものがあります。
 いずれにせよ、磁石が必ず北をさしているように、優れた民話や童話には、永遠に人間の心を照らし、心と心を結びつけてくれる光があります。
 ヤヌシュ・コルチャク
 一八七八年―一九四二年。ポーランドの教育者、児童文学作家。ユダヤ人の子どもたちをかばい、ナチスの収容所でともに殺された。
 宮沢賢治
 一八九六年―一九三三年。詩人、童話作家。法華経に帰依。

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