Nichiren・Ikeda
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日蓮大聖人・池田大作
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分断から調和への流れを
「大いなる魂の詩」チンギス・アイトマートフ(池田大作全集第15巻)
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池田
自分を通じて、私たちが皆同じだということがわかれば、他者への無関心や、意思の疎通など不必要とする態度がいかに誤っているかが、おのずと理解できるでしょう。しかも、今や時代はますますボーダーレスの様相を濃くしていっています。個人も、民族も、国家も、孤立し閉じこもっていては生きていくことは困難な状況になりつつあります。
私は、つねづね「一人は万人に通ず」を信条に、行動しております。私の信奉する日蓮大聖人の御文に「
一人を手本として一切衆生平等
」(「三世諸仏総勘文教相廃立」)とあります。一個の生命を徹底して掘り下げるところに開けてくる「四海平等」「万人同胞」の透徹した平等観です。
だれもが戦争のない平和な世の中を望み、家族が健康で幸福であるように願っているでしょうし、子どもの成長を喜び、人の死には悲しみをおぼえるでしょう。これが、社会的地位はもとより、民族・国家の相違などを超えた赤裸々な“一個の人間”の実相です。
さらに言えば、いかなる人も、生まれ、老い、病み、死すべき存在であり、死を免れる人などだれもいません。
どの人間も、それ自体で“一個の全体”であるところの生命なのです。一人の「一」ということについて考えるとき、私には、先に挙げた日蓮大聖人の御文とともに、エマーソンの「人間は部分として生活を営んでいるが、同時に人間の中にはあらゆる部分が平等の関係をもっている普遍の美、すなわち『永遠の一』(the eternal One)が流れている」(趣意)という言葉が浮かんできます。
私は、人間が相対的にさまざまな差別に彩られながらも、その奥底に秘めている絶対的な平等の基盤を「内在的普遍」と呼び、これに目覚めることこそ人類連帯の機軸でなければならないと確信しています。人間は本来、分断されえない地球の仲間として、理解し合える共通性をもともともっているのです。
分断されているとすれば、それは人工的な引き離しです。
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アイトマートフ
それは重要な視点ですね。そのことを、故意にか偶然にか、軽視しているところに人類の悲劇があります。より高い次元に立って、精神の美しい調和を手に入れなければなりません。孔子も言っています。「遠き慮り無ければ、必ず近き憂い有り」と。私たちの具体的な状況に置き換えて考えれば、身震いするようなことです。
言うまでもなく、飢えている人間に、空腹のことは忘れろと要求することはできません。貧乏は無視して、生活必需品の無益さについて「哲学的に」考えろ、と勧めることはできません。それはそのとおりです。
しかし次のような言葉も理にかなっています。「社会の力強さと無力さの源は精神的水準である。工業の水準はその次である」。これはソルジェニーツィンの言葉です。もっとも、調和という観点からすれば、問題の本質は、精神的水準と工業水準のどちらが「先」でどちらが「後」かにあるのではなく、むしろその両者が一定の調和を保つことにある、と訂正するべきかもしれませんが。
総じて、人類は、調和ある人間から調和ある人類へ、という新たな文明の途につこうとしています。そのような方向性は、すでに多くの人々の心の中に宿っているとみてまちがいないでしょう。
仏教でも教えているように、たとえ心の中に芽生えただけでも、それが因となってかならず何らかの結果をもたらすはずです。私のほうからこんなふうに言うと、“釈迦に説法”になってしまいますね。(笑い)
池田
仏法で明らかにした厳然たる因果律です。
アイトマートフ
そうだとすれば、すでに心の中に因はあるのですから、それを英知と人間性に共鳴させて、目に見える形に結実させていく時は到来しているのです。調和ある未来を確実にするためにです。私たちの文明のペレストロイカとも言えるこの事業に人類が真剣に取り組んでいくことを期待せずにはいられません。
池田
その方向で行動を起こすことです。
エマーソン
一八〇三年―八二年。アメリカの思想家、詩人。合理主義を排して超絶主義を唱えた。
ソルジェニーツィン
一九一八年―。ロシアの小説家。体制を批判。ノーベル文学賞受賞。
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