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日蓮大聖人・池田大作

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戦力という新しい宗教  

「大いなる魂の詩」チンギス・アイトマートフ(池田大作全集第15巻)

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3  池田 予想したとおり、あなたとの対話は互いに触発しつつ、ほとんど対立なしに進んでいます。彩りを添えると言っては語弊がありますが、この辺で一つ、異見を戦わせてみるのも一興でしょう。と申しますのは、あなたが衰退していないとおっしゃる宗教の「道徳的基盤」についてです。
 いろいろな宗教、たとえばキリスト教にしても、アッシジのフランチェスコに代表されるような優れた宗教的人格を生み、それが一つの伝統として受け継がれていることは事実です。
 それと同時に、一つの宗教が時代精神として根をおろし、歴史の現実の上で、どのような役割を演じてきたかということも、決して見逃してはならないのです。
 一例を挙げると、今、ヒューマニズムの内実として最も問われているものの一つに、「寛容」の問題があります。今日の世界において憂慮すべき事柄は、あなたも指摘するように、“非寛容”すなわち“狂信”の猛威でありますが、これに関して申し上げれば、たとえばキリスト教の「道徳的基盤」はどのようなものであったでしょうか。
 マルキシズムが“陰のキリスト教”とはよく言われることですが、ひるがえって考えればキリスト教そのものも、いたって非寛容であったというのは歴史的事実です。
 血で血を洗う宗教戦争を例にとるまでもなく、そこには、他宗派・他宗教に対する非寛容、つまり“人間観の不寛容”がありました。
 キリスト教は残念ながら、戦争の温床としての宗教といった側面をもっています。私の対談したL・ポーリング博士やA・ペッチェイ氏が、宗教の重要性を認める一方、その平和構築のために果たす役割に強い警戒感を隠さないのも、こうした背景があってのことでしょう。
 あなたも指摘しておられるように、自然観についてもそうです。『創世記』に説かれるように、神の創造物たる人間、神の似姿に造られた人間は、地上の一切の支配権をゆだねられました。自然をとことん利用し尽くすという人間の倨傲がここに由来するであろうことは、すでに多くの人の指摘するところです。これは“自然観の非寛容”と言っていいでしょう。
4  十七世紀に勃興した西洋近代科学も、じつはキリスト教との対決から生まれたのではなく、キリスト教のこうした「道徳的基盤」の中からこそ誕生したものである、と見る科学史家も、今日少なくありません。ケプラー、ガリレオ、ニュートンらも、いうなれば自然の構造を解き明かすことによって、そこに神の英知と栄光の証を見いだそうとしたのです。
 西洋近代科学における自然への態度は、たとえばフランシス・ベーコンの「実験」概念がよく物語っています。機械的技術によって自然を“拷問”にかけて真理を自白させる――それが彼の科学的「実験」でした。お気づきでしょうが、魔女裁判もこのような考え方と深く結びついています。今日の科学技術がもたらす核の脅威、環境破壊を見るにつけても、その根っ子の部分はキリスト教のこうした“自然観の非寛容”という「道徳的基盤」と決して無関係とは言えないと思います。
 以上、一例としてキリスト教を挙げたまでで、仏教にしても「出世間」つまり迷いや苦しみの世界である「世間」を超出することを強調するあまり、隠遁主義的になり、現実とのかかわりが希薄になりがちなことなど、反省、自戒すべき点が多々あります。
 総じて宗教は、個人の救済、内面の浄化にかかわるばかりではありません。社会観・自然観・宇宙観といった、広い意味での世界観をもたらします。それゆえに、宗教それぞれがもつ世界観、ならびにその「道徳的基盤」については、歴史における功罪を厳しく検証する必要があります。それはとりわけ、現代における喫緊の作業でしょう。
 さらに現代にあって誤解されがちな点ですが、「寛容」とは、他宗との論争をまったくしないとか、無原則的なエキュメニズムを意味するものではないということです。馴れ合いや妥協は、真の「寛容」とは言いがたいのです。相互保身的な「宗教界のカルテル化」(P・L・バーガー)は、つまるところ各宗派に自立性の欠如をもたらすだけです。かつての日本でも、国家権力によって宗教の合同がなされました。しかし、それによって各宗派は、相互のもたれ合いと体制順応型の性格を助長し、結果的には戦争へと突入する時代に歯止めをかけることができませんでした。
 「寛容」とは、無関心の異名ではありません。宗教はむしろ、世界の現実と未来に大いなる関心をもち、互いに時代と人間に貢献していくべく、言論という平和的手段に徹した競争を今こそ繰り広げていくべきでしょう。
 宗教は既成の“縄張り”の中に閉じこもって妥協と保身に生きるのではなく、互いに、みずからの「道徳的基盤」を現実の活動の中で検証しつつ、“世界市民輩出の競争”に全魂をかたむけていくべきである――と私は提唱したいのです。そこにこそ、真実の「寛容」とは何であるかも、また「人間のための宗教」であるか否かの内実も、おのずから明らかになってくると思います。
5  アイトマートフ このさい考えておかねばならないことは、卓越した核戦力という「宗教」と、とめどない技術的進歩とは、連通管の原理によって相互に作用し合っているということです。
 「宗教的いけにえ奉奠(うやうやしく供えること)」、すなわち、不断に増大する軍事的需要への巨大な支出は、工業発展国においては無駄な出費と見なすことはできません。なぜならば、その支出はさまざまな知識分野の研究を刺激するからです。それらの研究は、それなしにはそのような額の資金援助は得られなかったでしょう。
 この宗教は、より発展の遅れた国々をも軍拡競争に引きずり込み、いけにえの提出などできない国からもそれを要求します。そのことによって南北の経済矛盾を大きくします。ズルフィカル・アリ・ブットは「パキスタンは草をかじってもイスラムの爆弾を作る」と言いました。
 そのような条件の中で諸民族に行動の規範を守るように呼びかけることは実行不能な課題です。なぜならば、それぞれの民族はいずれにしろ、違反しているのは他の民族だ、と主張するだろうからです。それというのも、国家主権を守るという問題はいつも発生しているからです。
 しかし、さしあたっては……恐怖に一人残らず気が狂ってしまうようにならないためには、どのように抵抗したらいいのでしょうか? たしかに、そこでは、自分の心の中の人間の理性と良心に対する信頼を強めよう、それらは私たちを善のもとへ連れ出し、死ではなく生を愛するようにさせるだろう、と言う以外に方法はありません。せめても、私たちの子どもたちのために!
 アッシジのフランチェスコ
 一一八一または二年―一二二六年。イタリア中部のアッシジで清貧と愛に満ちた修道生活をおくった。
 ケプラー
 一五七一年―一六三〇年。ドイツの天文学者。惑星の運動に関し「惑星は太陽を焦点として楕円軌道を描く」などのケプラーの法則を発見。
 ガリレオ
 一五六四年―一六四二年。イタリアの物理学者、天文学者。実験と数学的検証をもとにした経験的・実証的な近代科学の方法を開始。
 ニュートン
 一六四二年―一七二七年。イギリスの物理学者、天文学者、数学者。力学体系を打ち立て、万有引力により天体の動きを解明。
 フランシス・ベーコン
 一五六一年―一六二六年。イギリスの政治家、哲学者。帰納法を導入し、科学的方法と経験論の道を開いた。
 魔女裁判
 中世ヨーロッパで、キリスト教の異端を撲滅するため次々に疑いをかけて魔女に仕立てあげ、焚刑に処した。魔女狩り。
 エキュメニズム
 広くは宗派統一運動。元意は、全キリスト教会の統一をめざす世界教会主義。
 P・L・バーガー
 一九二九年―。アメリカの社会学者。
 連通管
 二つ以上の容器の底を管でつないで液体が自由に流通できるようにしたもの。
 ズルフィカル・アリ・ブット
 一九二八年―七九年。パキスタンの政治家。

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