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日蓮大聖人・池田大作

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核時代と人類の運命  

「大いなる魂の詩」チンギス・アイトマートフ(池田大作全集第15巻)

前後
9  その点、中国の科学と文明を研究したジョセフ・ニーダム博士が「科学革命以前の十四世紀間ほどは、自然についての発見と、その知識を人間の役にたてるという点で、中国文明のほうがヨーロッパ文明よりもずっと効果をあげていた」(『中国科学の流れ』牛山輝代訳、思索社)と述べているように、東洋の思考は「人間の役にたてる」という性格が濃厚でした。言い換えれば、科学にしても、技術にしても決して独り歩きせず、人間を中心にして、つねにそこにフィードバックさせたということです。
 プラグマティック(実用的)といえばきわめてプラグマティックな性格をもっていたのですが、科学のための科学、知識のための知識、つまり科学技術の自己目的化への契機は、そこには見られません。そこに、中国に代表される東洋の科学技術がつねに人間にとって「等身大」であった理由があります。
 もちろん、ヨーロッパ近代科学のもたらしたさまざまな恩恵や功績を否定するつもりはありませんが、「西洋近代」のもつ過剰性の弊害が顕著になってきた今日、その超克をめざす上で、東洋的な「等身大」への志向性という観点は、重要な視座を提供してくれるのではないかと考えます。
 ともあれ、昨今のNIES(新興工業経済地域)諸国の繁栄には、西洋近代文明のオルタナティブ(代替)として、独自の内発的発展を模索しようというエネルギーがうかがわれます。
 チェルノブイリの悲劇
 一九八六年四月二十六日、旧ソ連キエフ近くのチェルノブイリ原子力発電所の四号炉が暴走し炉心が溶融、大量の放射性物質がまき散らされた。多数の死者が出、十三万人を超える周辺住民が避難。
 フランケンシュタイン
 イギリスの女流小説家メアリー・シェリーの作品に登場する人物。
 ラッセル・アインシュタイン宣言
 一九五五年、核兵器廃絶と戦争廃止を科学者に訴えた宣言。
 湯川秀樹
 一九〇七年―八一年。中間子の存在を予言。
 ジョセフ・ニーダム
 一九〇〇年―九五年。イギリスの生化学者、科学史家。
10  アイトマートフ また他方では、かつてイスラム教が普及していった時代にも似た躍動感を復活させているイスラム文化が、大きくクローズアップされてきていますね。
 イスラム世界のこの変化に、世界はもっと早くから注目すべきだったのかもしれません。
 というのも、近年のイスラム圏の躍動感には、傷つけられた自尊心を裏に秘めた複雑な感情が混じっているからです。西側諸国は自分たちの文明を維持するために中東の石油に依存してきました。そしてそれが中東に巨万の富の蓄積を生み、富は中東の人々の自尊心を目覚めさせ、自信をもたせたわけです。よく理解できる心理です。貧乏人が急に金持ちになると、かつての侮辱を思い出すものです。まさにそのことが起こっているのです。
 このように、たんに大量殺戮兵器に反対すれば事足りる状況ではなくなってきています。その反対運動をつづけていくことはむしろ当然のこととして、さらに一歩進めて考えねばなりません。時代の要請は、国家にせよ個人にせよ、持てる大量殺戮兵器を使おうとする目的、原因に光を当て、その原因そのものを取り除いていくことにあるのではないでしょうか。
 私たちは次の二つの心理をよくよく理解しなくてはなりません。核兵器をはじめ、あらゆる大量殺戮兵器を前にして、人間が精神的無力感にむしばまれていることは疑う余地のない事実です。が、反面、民族主義とか民族的利益という観念は人間に恐いもの知らずの自信をもたせ、無分別な行動に走らせるという点も、決して見逃してはならないのです。では、どちらの精神状態がより危険なのでしょうか?
 さてそこで、「新思考」の勝利によって、一息つき、少し体の力を抜くことができるようになったと思えるかもしれません。しかしそこに新しい不幸が発生しました。私たちは、「冷たい戦争」が「熱い平和」にとってかわる現実的な危機に直面しています。というのは、以前は、東西両陣営の対立の中で、二つの超大国がいずれにしろそれぞれの軍事ブロックの中で憲兵の役割を果たしていましたが、今は事情が変わりました。もはや核兵器禁止の措置の有効性を信ずることは困難です。核兵器の拡散は事実であり、核兵器を所有している疑いのある国は少なくないからです。
 最近の地域的軍事衝突は三つに分類することができると学者たちは分析しています。それは、経済的不平等、民族・人種関係の緊張、国家主権によるものです。
 当然ながら、これらの理由はすべて篭のように編み合わされていて、その篭の中に私たちはすべて一緒になって入っているのです。

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