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日蓮大聖人・池田大作

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調和ある民族の統合  

「大いなる魂の詩」チンギス・アイトマートフ(池田大作全集第15巻)

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6  もちろん、人間を飢餓に追い込んではなりません。そういう政治を正当化するような「高度な」利益はないし、またありえません。そういう政治は犯罪と呼ばれます。何らかの思想の「支持者」を食べ物で募るということは、その思想の本質が残忍で、非人間的なものであることの証です。それは、バクーニンの考えによれば、社会主義国家の市民の道徳的、知的堕落を引き起こすものです。バクーニンは書いています。「そのような社会は人間の社会ではなくて、家畜の社会となろう。それは、長い間自分たちをジェスイット教団に統治させた不幸なパラグアイ共和国の二の舞いとなろう。そのような社会は間もなく白痴の最低階級へ落ちることが避けられないであろう」。
 あらゆるものを測る尺度は人間です。人間の尺度とは自由への抑えがたい憧れです。ところがその偉大な運動が途中で民族間戦争に変わってしまうとしたら、私たちは身の置きどころがありません。
 私は未来の統一社会の組織構造がどのようなものになるかは知りませんが、その組織構造が正しいものであるためには、その社会のすべての人々が、民族にかかわりなく、自分の自由と他人の自由を何よりも高く尊敬しているような状態でなければならない、ということだけははっきりわかっています。
 それは可能でしょうか? 理想でしょうか? いずれ現実が証明しますが……。
 ローゼンベルク
 一八九三年―一九四六年。ドイツの政治家。
 A・A・バクーニン
 一八一四年―七六年。ロシアの革命家、社会思想家。
 ジェスイット教団
 イエズス会。一五三四年、宗教改革に対抗して結成されたローマ・カトリック教会の教団。
7  池田 私は、偏狭でファナティック(狂信的)な民族意識を変革していく上で、いちばんカギを握っているのは、おそらく教育であると思っています。私どもは、世界の教科書展や、小中学生の交流、子どもたちの絵画展、ユニセフ展など、子どもたちの世界を広げるためのさまざまな企画を催してきておりますが、それらをとおして痛感することは、子どもたちが生来のコスモポリタンであるということです。彼ら彼女らの笑顔はじつに屈託なく、心広々と、すべてにわたって開放的です。
 そうした子どもたちが、長ずるにしたがって、偏狭なナショナリストへと変貌を遂げていくのは、じつに悲しいことであり、教育それも学校教育にかぎらず、社会や家庭をも含む教育環境に、重大な欠陥があったからなのです。私はそう確信しています。
 N・カズンズ氏も、このことを繰り返し強調していました。「単にアメリカだけでなく、世界の大部分における教育の大きな失敗は、教育が人々に人類意識ではなくて、部族意識を持たせてしまったことである」(前掲『人間の選択 自伝的覚え書き』)と。
 今後の世界では“国家主義”よりも“人類主義”、“国益”よりも“人類益”を志向するグローバリズムが不可欠ですが、それにはカズンズ氏の言う「人類意識」をどう育てていくかが最大の課題となってきます。今まで教育者は、事の重大性にもかかわらず、あまりにこのことに無関心すぎたのです。
 部族意識や民族意識ということは、今年(一九九一年)の六月、哲人政治家として知られるドイツのヴァイツゼッカー大統領とお会いしたときも、重要なテーマとなりました。ドイツも日本も、さして遠くない過去に、思い上がった狂信的なナショナリズムに引きずられ、破滅の道を転がり落ちた悲劇的な体験をもっているだけに、相互に「開かれた」社会でなければならないという点で、深く同意しました。
 大統領は「世界的に平和に寄与されているSGI(=創価学会インタナショナル)の皆さんが、その活動を通じ、地球的規模でそれぞれの地域を『開かれた』ものにしていくべく貢献されんことを、心から期待してやみません」(「聖教新聞」一九九一年六月十四日付)と述べておられましたが、それはまた、私の深く期しているところでもあります。
 真実の宗教つまり世界宗教とは、そうした教育運動と連動し、それを支えるものでなければならないでしょう。
 ユニセフ
 国連児童基金。発展途上国の児童の援助を行う。
 ヴァイツゼッカー
 一九二〇年―。元西ドイツ大統領、九〇年~九四年に統一ドイツの初代大統領。ナチス・ドイツの蛮行に対する深い反省を表明する演説は世界に感銘を与えた。

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