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日蓮大聖人・池田大作

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言葉への信は人間への信  

「大いなる魂の詩」チンギス・アイトマートフ(池田大作全集第15巻)

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6  アイトマートフ 死の恐怖のもとで沈黙を強いられ、自分の考えや、感情を隠すことを余儀なくされた人間は、必然的にある種の精神的に偏った存在になってしまいます。そこに全体主義のもう一つの問題があることを指摘せざるをえません。
 私の記憶に間違いがなければ、中国の国民への手紙の中で「あなたがたは沈黙することさえ禁止されている国に生きている」と言ったのは、蒋介石の息子です。何となじみの深い光景でしょう。彼が念頭においていたのは、「偉大な舵取り」を事あるごとに賛美しなければならない義務です。なぜならば、歓喜の大合唱と拍手のとどろきの中での沈黙は、明らかに疑わしいものであり、挑戦であって、当然ながら、独裁体制の有無を言わさぬ厳格さをもって罰せられました。おまえは敵の手先か、さもなければ……というわけです。
 とはいえ、毛沢東にそのようなやり方の手本を示したのは、ほかでもない私たちの国だったことを記しておくべきでしょう。何も毛沢東が発明した新しいやり方ではないのですから。さらに言えば、ではだれが発明したのかとなると、個人の名は挙がってきません。おそらく太古の昔から存在していたのだと思われます。
 多分、歴史を遠くさかのぼって、血も凍るような光景を再現するまでもないと思います。真理を求める人々が舌を抜かれたり、あるいは口を縫い合わされたりした例なら、たとえば、あえて詩を書いたアンヒル・マリンがいます。カフカスでの出来事です。わずか百余年前のことです。
 我々の時代には手続きは簡単になりました。詩人はあっさり殺されました。詩人でない人も殺されました。
 自由な言論の代償は生命です。過去においても、現在においてもそうです。本来、人間は真理を渇望します。しかし、それは「英雄的行為」を求めてではありません。たとえ私たちが真理の言葉を偉業として受け取っているにしてもです。人間はそれ以外には生きられません。トルストイにならって言えば「黙っていられない」のです。
 ぺレストロイカは、あなたのおっしゃるように、まず第一に、死も同然の言葉のない闇からの脱出の試みです。高級なものとして民衆に押しつけられた、したがって民衆を奴隷状態におとしいれた「低級な真理の闇」からの脱出の試みです。
 人々はいつまでも奴隷のような状態に甘んじているものではありません。私に言わせれば、ペレストロイカが始まった背景にあるものはかならずしも社会的要因だけではありません。むしろ、人間が本然的に備えもっている自由への希求に目覚めたところに、事の本質があると見ています。自由とは、自己の尊厳性の主張でもあるからです。人間らしい言葉で語りたい――そのやむにやまれぬ思いこそが、精神の復興の本質をなすものだと信じます。
 それゆえに、今私たちは、まるで最初からやり直しをしているかのように、語らい合うことを学ばなければならないのです。真実に生きたいと思う者はだれでも、これまで言論界を怪物のように徘徊してきたデマゴギーや虚偽を捨てて、心の通った本当の対話をすることを、人の言葉に真摯に耳をかたむけることを習おうとしています。
 本物の言葉を語った人がいました。とつとつと静かに話すその人の声はなかなか社会の人々に聞き入れられませんでした。真の言葉を聴く才能がないのか、あるいは聞きたくないのか――それは国政について論議が行われる議会の場でも同じことでした。社会が理解力に欠け、聴く耳をもっていないというのは悲しむべきことです。その人が突然この世を去って後、人々は彼を国の「良心」と呼んで、その死を悼んでいるのですが。私が「その人」と言っているのはアンドレイ・サハロフ博士のことです。
 私にとってそれは人間に対する、真実の言葉に対する嫌悪の驚くべき実例でした。長い年月にわたって虚偽の暮らしに慣らされてきた人々にとって、真実を認め、受け入れることはまったく簡単ではなかったのです。
 それは私にとって驚きでした。もちろん、これらの人々のあからさまな人身攻撃や、無教養ぶりや、「議会的」礼儀とまったく縁のない無作法ぶり、等々をいくらでも非難することはできます。しかし私にとっては、そのような狭量がどこから来るのかを理解することのほうが重要です。
 もしかしたら、その主要な原因は、すぐには自覚されないことかもしれませんが、深い思想を俳優的演技なしに、演説口調を用いずに語り、同時に私たちが自分自身の内部を見つめるようにうながす――見つめれば、私たち自身も罪がないわけではないことに気づいて、ぞっとするのですが――というような行動のタイプ、あるいはそのようなタイプの人が受け入れられてこなかったことにあるのかもしれません。
 いずれにしろ、私たちの沈黙の同意のもとに、あるいは積極的な賛成のもとに、今なお適切な定義が見いだせないような恐ろしいことが行われたのです。しかしいずれにしても、すべての原因は長年の全体主義体制だと私は思います。
7  池田 その「全体主義体制」の根底にあるものとして、G・マルセルは「抽象化の精神」ということを、戦争の最大の要因として告発しつづけました。すなわち、人間は戦争を始めようとするやいなや、隣人――あなたが、全体主義社会でもっとも受け入れられてこなかったとするタイプの人間です――その隣人の抽象化を行うというのです。
 「わたくしが、これらの存在者(=隣人)を絶滅する用意をせねばならなくなるその瞬間から、まったく必然的にわたくしは、亡ぼさねばならないかもしれないその存在者の個人的実在についての意識を、失ってしまう。かかる人格的存在を蜉蝣のごとき姿に変えるためには、是非ともその存在を抽象概念に変換してしまうことが必要である。すなわち、コミュニストだとか、反ファシストだとか、ファシストだとか等々のものに変えてしまわねばならぬ」(『人間‐それ自らに背くもの‐』小島威彦・信太正三訳、創文社)と。
 こうした抽象概念のとりこになった狂信的人間ほど、抽象的スローガンのみを声高に言いつのり、あなたのおっしゃる「真実の言葉に対する嫌悪」を露にするか、聞く耳もたぬとばかりに無視するものです。
 そうした“人情不感症”とも言うべき社会にあっては、G・オーウェルが戯画化して描いたように、公式的決まり文句や空疎なスローガンが飛び交うだけで、人間が人間であることの証ともいうべき対話やコミュニケーションなど、望みうべくもありません。
 言葉が本来の意思疎通の機能を失った相互不信の社会が、文字どおり“問答無用”のテロや暴力、戦争の餌食になってしまうであろうことは、見やすい道理であります。
 マルセルは、たんに共産主義やファシズムにかぎらず、現代文明それ自体が、この「抽象化の精神」に深く毒されていることを憂慮していました。そして、そのことを間断なく告発しつづけることが、哲学の最大の課題であるとしたのです。
 アイトマートフ わが国の優れた外科医であるフョードロフは、眼の手術の後、病人の眼帯を急に外してはいけない、と私に話したことがあります。昼の強い光で眼が見えなくなってしまうことがあるのだそうです。おそらく、人間が世界と自分についての真実を急に知る場合にも、似たようなことが起こっているのです。
 池田 昨年(一九九〇年)お会いしたさい、ゴルバチョフ大統領のおっしゃったことが思い出されますね。「ペレストロイカの第一は『自由』を与えたことです。しかし、その自由をどう使うかは、これからの課題です。
 たとえば、長い間、牢の中、井戸の中にいた人間が、突然、外に出たなら、太陽に目がくらんでしまうでしょう」(「聖教新聞」一九九〇年七月二十八日付)と。
 私はすぐさま、プラトンの“洞窟の比喩”を思い出し、哲人政治家としての見識の一端を垣間見る思いでした。
 ワイマール共和国
 帝政に対する一九一八年十一月のドイツ革命によって誕生した共和国。
 第三帝国
 ナチス・ドイツの称。神聖ローマ帝国を第一帝国、普仏戦争後の帝国を第二帝国とする。
 蒋介石
 一八八七年―一九七五年。中国の政治家。国民党政府の指導者として対日抗戦を遂行。戦後は中共との内戦に敗れ台湾へ渡った。
 毛沢東
 一八九三年―一九七六年。中国の政治家。中国共産党の創立に参加し、後に対日抗戦を指導。国民党政府との内戦に勝利し、中華人民共和国を建国。国家主席、党主席を歴任。
 カフカス
 黒海とカスピ海の間にあり、カフカス山脈を中心にした地域。
 アンドレイ・サハロフ
 一九二一年―八九年。旧ソ連の核物理学者。ソ連の“水爆の父”。反体制運動のシンボル的存在となり活動の自由を奪われる弾圧を受けた。ノーベル平和賞受賞。
 G・マルセル
 一八八九年―一九七三年。フランスの哲学者。
 G・オーウェル
 一九〇三年―五〇年。イギリスの作家。

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